気づいたら新緑につつまれている。

あっという間に初夏ですね。
この前まで桜がどうのこうの言っていたのが、ゴールデンウィークの混雑と日差しが相まって、なんとなく暑くなってきました。

特に書きたいことがあるわけでもないんで、適当にいろいろ書いておこうと思います。備忘録的に。

家にいると周りの緑に包まれて、静寂に包まれています。
しかしこの静寂が心に及ぼす影響は消して平穏だけではありません。不安も期待もひっくるめて、色んな思いが去来します。

目標をもって生きていくことが楽しい時と苦しいときとあり、それは同様に目標がないときもその通りです。
目標も小さなものから大きなものまであって、小さいと思っていても大きかったり、大きいと思っていても小さいときもあったりします。

人と付き合うのが大変だけど、人と付き合いたいと思ったりもします。

食べたくないけど、食べないといけないとも思うし、寝たくないけど眠くなったりします。

生きるってそういう矛盾が増えていくことに対処していくことなのかなと思ったりもします。
鬱々とした日を過ごしているかと思えば、晴れやかな気持ちになることもある。

その落差は結構辛かったり。
だから平穏に過ごしたいと思い出す。
でもその平穏って楽しいか?って言うと、今はやっぱり否定するんだろうな。

そんなモラトリアムなお年頃。

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写真が切り取っているものはなんなのか?

僕は写真がまぁまぁ好きです。
写真好きだ!と声を大に言えるほど好きではないし、詳しくもありません。
でも写真を撮るのは好きです。

写真は何を切り取っているんだろうと考えます。
思い出はあくまでも心のなかにあるもので、それは実態としてそこにあるものではなく。
もしかしたらそれはただの思い過ごしかもしれません。
写真はそれを補完してくれるものでしょうか?
そういう機能もあるでしょう。

写真はその場にいあわせない人に自分が見たものを伝える機能もあるでしょう。
しかし実際写真で切り取られたものは私が見たものそのものではありません。
あくまでも一部です。

写真は僕らのなんらかを補完してくれるものでしょうか。
そうであったら嬉しいし、そうであると思います。

僕らは写真を見て、そこに写っていない何かを受け取る。
それは未来への新たな道標になるかもしれません。

少しだけその場の空気を切り取って、見せた人がいい気持ちになる写真が好きです。

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思い通りに行かないことも多々ありますが。

生きていると思い通りに行かないことって沢山あって、それは自然に対してなのか他人に対してなのかなどいろいろありますが。

どっちにしろ、それぞれにおいて理由があって、その立場にたつとそれはごもっともだったりするわけで。

思い通りに行かないと、相手のせいにしたり、もしくは自分のせいにしたりしがちですが、結構どっちのせいでもないっていうか、どっちとも悪かったりというか。
なので相手を責めても自分を責めても解決しないことが多々あるわけで。

そういう時は自然相手であれ人相手であれ、対話が一番の解決につながるんだろうなって思うわけです。

対話はそれはそれで結構怖かったりしますが、それは対話が始まるまでで、それを乗り越えれば解決につながる確率のほうが高くなると思います。

恐れていたら何も始まらないんだなって思う今日このごろです。

本日も良い一日でありますように。

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桜の花が咲く頃に

昔バンドをやっている頃にそんな歌詞を書いたことがある気がする。
とてもありきたりな歌詞で、とてもありきたりな歌だったと思う。

そんなありきたりな歌を聞きに来てくれるお客さんがいて、僕はそんなありきたりな歌を一生懸命歌っていた。

いまもありきたりな生活を送っている。
年々ありきたりが複雑なことに気付いてきていて、桜の花一つとってもありきたりではあれ当たり前ではないのではないかとも思う。

今日も生きているなー。

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今更ですが、数学は面白いんです。


「フェルマーの最終定理」を読了。結構前に買ったんだけど、なかなか読めなくてやっと最近読み終えました。
読み始めたらすぐだった。

サイモン・シンの著書は二冊目。
最初は「数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち」

どちらも数学の話ではあるが、数学がわかっていないとおもしろくないわけではない。(もちろん、「数学が好き」で、ちょっとした基礎知識は必要だと思うけど。)
フェルマーの最終定理自体は、そもそもなんの役に立つの?って思われていたところもあるみたいだけど、それをある情熱を持った証明者が8年間こもって研究し、それを解く緒として他の予想や定理を使い、最終的に今まで繋がらなかったことをつなぐことができ、結果的に大いに役に立つって感じ。
これを関係した人たちや歴史と照らし合わせて語られている。

谷山ー志村予想にもしっかりと目を向け、大事な章として取り扱っている。

まさにサイモン・シン自体が科学に対して敬意をもっていることが現れている。

書かれている数学的内容は殆ど理解はできないけど、それでも自分の中の好奇心を駆り立てるに十分な本だった。

さて、今日も頑張る。

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なんでもAmazonに頼るのは良くないですね

Amazonで買い物をする事が多くなってきています。
住んでいるところの近くで買えない物が結構あるので重宝しているんですが、少し気付いたことがあります。

それは、なにもAmazonでというわけでもなく、買わなくても良いものまでかってはいないか?ってことです。
もっと言うと、「自分で努力してどうにかなるもの」も買っているのではないか?ってことです。

もちろん、その努力に対する労力があまりにも大きいものであれば購入するのも一つの手ではあるでしょう。
ただ少し考えただけで、本当にちょっとした努力で解決できることが沢山あることに気付かされます。

そして、その努力は実はその時の労力以上に自分の脳や身体を活性化させることができると思うんです。

目の前の楽にかまけて、成長を怠っている自分が居ることに気づく毎日です。

今日も頑張ります。

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矛盾について

矛盾しているな〜って出来事があったとき、それは自分の考えが浅いのではと少し思うようになってきた。
それぞれの立場で利益は変わってくるわけで、それを許容する心があれば矛盾はそうそう起こらないのであろう。
自分の意見を押し付け気味になってしまう癖がどうもあるので、相手のことを慮る気持ちをもっともちたいと思う今日このごろです。

寒くなってきました。
冬到来ですね。

今日も頑張ります。

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設計図を頭に描く能力

切羽詰まってくると物事を近視眼的に捉えてしまうのは常であるが、やはりどんな状況でも最終的な目標とその過程をイメージしながら作業していく必要がある。
そうなってくると自ずと前提条件をしっかりイメージする必要がある。

人間の能力なんて大したことがないので(もちろんすごい人はいるが)、なるべく前提を整理する能力をしっかりつける、具体的に言うとしっかり文字にしてまとめるなどの作業をしていくほうが、結果的に効率よく良いものができる気がする。

焦る前に整理する。高をくくって目の前の問題だけを解決しようとするとつけが回ってくる。

そのことを肝に銘じて今日も頑張る。

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やり過ぎは良くないかもしれない

何をやり過ぎたかって、昨夜フットサルに行ったんだけど。
どうもこうも身体が動かなくて、最後は少し動いただけで足がつる状態でした。

まとめて運動してもなかなかうまくいかないから、やっぱり毎日少しずつでも動いておかないとだめだなって思ったわけです。

最近フットサルをすることに少し意味付けをしています。
それは、もちろんゲームに勝つとか上手にやるとかもあるんだけど、空間をどれだけ認識できるかを確認しようとしているんです。
ゴールに向けていろんなプロセスがあって、状況によって違っていて。

周りにどれだけ人が居るのかとか、そういうのを見ながら、自分ができることをやろうと思っています。

なかなかうまく行きませんが、いつもと少し状況の違った中で頭を使うのも重要なんだと思う次第です。

今日も集中して頑張ります。

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鉛筆を研ぐ

小学生の時は、シャープペンシルを使い出すまでは鉛筆を使っていた。
鉛筆削りはなかったので、ナイフで研いでいた。
ちなみに鉛筆を研ぐっていうのは、どうやら全国で通じる言葉ではないみたい。
九州のことばなのかな?

最近鉛筆を研いでいる。シャープペンシルも使うんだけど。
墨をするのと同様、少しの時間だけでも集中できるから良い。

自分の欠点としての集中力のなさを克服したいと言う気持ちから始めたもので、なにも欠点だけを克服するのが良いとは思えないが。
すくなくともできなかったことができるようになるといのは成長なわけで。

しかしそんなに人間かんたんに成長できるわけではない。
しかしそこが面白いところである。

本日も頑張る。

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