涙もろくていいじゃない

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大切な友人に会いにってきました。一緒にバンドをやっていた仲間です。
奥さんにとてもよくしてもらい、子どもたちに付きまとわれて、相変わらず子どもにはモテるなーと悩みました。嬉しい限りです。

友人と話していて、一番良かったこと。
僕と彼は、各々の思想において異なる部分が大きいんです。
それでもそれぞれの話を聞き、納得しながら、最終的に求めていることは一緒だよね!って笑い会いました。で、最後は音楽一緒に演奏して満足して帰ってきました。

その後帰りの電車で共通の友人と連絡を取り合いました。彼も一緒にバンドをやっていた友人です。
今までお互い伝えてこなかったことを伝え合い、彼は僕に一遍の詩を送ってくれました。

最終的に友人二人に元気と勇気をもらいました。
電車で携帯を眺めている僕は、少し涙が出ました。

こういうことってあるんだなってことが、ここ最近多いです。
音楽聞いて泣くとか、友人に元気づけられて泣くとか。

泣くってことは、案外良いことだなって思うようになりました。

心が洗われるって言葉がすっと入ってきます。
なにも片意地張って生きていくだけが能じゃないって思えるようになりました。
ナイーブすぎた自分が少しだけ強くなれた気がするのも、涙のおかげかも知れません。

「思い出を振り返る権利が年配者にはある」とヘルマン・ヘッセが言ったらしく。
いやいや、まだまだそんなに老けこむ年齢ではないよと言いつつも、確実に年端を重ねているんですね。

受け入れることにはそれなりにエネルギーが必要です。
エネルギーって、ある基準点からの相対的な距離で表せるわけです。
どこに基準点を設けるのか。
じつはそれで楽になる部分もあるし、苦しくなる部分もある。

そしてその基準点は自分で設定できるってことに気がついたわけです。
いや、むしろ自分でしか設定できないって気づいたんですよね。
これは実は大きい。

なんのかんの言って一人で生きているわけではないので、当然ながら他人を意識するし、もちろん助けあいながら生きているんですが。
まぁそれでも、やっぱり最後は自分が決める権利を持っているわけで。

大事なことが沢山あるけど、それをやるかやらないかも自分で決められる。
自分で決めなきゃいけないではなくて、自分で決められる。

この思考のシフトは、自分自身にいろんな発見をもたらしていて、いい方向に進んでいることを実感しています。

なんか、俺は宗教家みたいだな。。。

まぁ、いいや。

ま、そんなこんなで涙も沢山流したことだし、また一歩一歩進みたいと思う所存です。

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