月別アーカイブ: 2015年9月

涙もろくていいじゃない

大切な友人に会いにってきました。一緒にバンドをやっていた仲間です。
奥さんにとてもよくしてもらい、子どもたちに付きまとわれて、相変わらず子どもにはモテるなーと悩みました。嬉しい限りです。

友人と話していて、一番良かったこと。
僕と彼は、各々の思想において異なる部分が大きいんです。
それでもそれぞれの話を聞き、納得しながら、最終的に求めていることは一緒だよね!って笑い会いました。で、最後は音楽一緒に演奏して満足して帰ってきました。

その後帰りの電車で共通の友人と連絡を取り合いました。彼も一緒にバンドをやっていた友人です。
今までお互い伝えてこなかったことを伝え合い、彼は僕に一遍の詩を送ってくれました。

最終的に友人二人に元気と勇気をもらいました。
電車で携帯を眺めている僕は、少し涙が出ました。

こういうことってあるんだなってことが、ここ最近多いです。
音楽聞いて泣くとか、友人に元気づけられて泣くとか。

泣くってことは、案外良いことだなって思うようになりました。

心が洗われるって言葉がすっと入ってきます。
なにも片意地張って生きていくだけが能じゃないって思えるようになりました。
ナイーブすぎた自分が少しだけ強くなれた気がするのも、涙のおかげかも知れません。

「思い出を振り返る権利が年配者にはある」とヘルマン・ヘッセが言ったらしく。
いやいや、まだまだそんなに老けこむ年齢ではないよと言いつつも、確実に年端を重ねているんですね。

受け入れることにはそれなりにエネルギーが必要です。
エネルギーって、ある基準点からの相対的な距離で表せるわけです。
どこに基準点を設けるのか。
じつはそれで楽になる部分もあるし、苦しくなる部分もある。

そしてその基準点は自分で設定できるってことに気がついたわけです。
いや、むしろ自分でしか設定できないって気づいたんですよね。
これは実は大きい。

なんのかんの言って一人で生きているわけではないので、当然ながら他人を意識するし、もちろん助けあいながら生きているんですが。
まぁそれでも、やっぱり最後は自分が決める権利を持っているわけで。

大事なことが沢山あるけど、それをやるかやらないかも自分で決められる。
自分で決めなきゃいけないではなくて、自分で決められる。

この思考のシフトは、自分自身にいろんな発見をもたらしていて、いい方向に進んでいることを実感しています。

なんか、俺は宗教家みたいだな。。。

まぁ、いいや。

ま、そんなこんなで涙も沢山流したことだし、また一歩一歩進みたいと思う所存です。

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日々雑感 2015年9月

夏はどこに行ってしまったんだろうか?って思ってたら今日少しだけ忘れ物取りに来てましたね。

なんて言うか、世の中面倒なことが多いなって思ってたんだけど、結論自分が一番面倒なやつだなって最近やっとわかってきました。

ってことで。

音楽は心を洗いますね

最近は前にも少しFacebookで書きましたが、itunes musicをよく聴いています。
これはまぁ、音楽消えるとかいろいろ僕もうわさ通りのことになりましたが、とてもいいですね。
僕みたいに音楽に対して、好きな曲をいつでも聞きたい、それでいて音の善し悪しとかそこまでわからないって人には特に。

ちょっと語弊があるかな。良い音って多分みんなが聞いてわかるんだと思うんですよ。それは比較の問題として。
ただ、iPhoneだったり、デスクトップ(ノート含む)につないだスピーカーから聞こえる音楽に対してそれは望んでいませんしね。

良い音が力を持っているのか、それともいい曲が力を持っているのか?

ま、そんなところです。

デザインのことはよくわからんが

佐野史郎でしたっけ。佐野日大でしたっけ。
まぁ名前なんてどうでもいいですが、そのデザイナーさん。
ちょっと叩かれすぎなのか、それともあれぐらい叩かれていいものなのか?

私がデザインしたわけではないので、最終的にどっちが正しいかわからんのですが。
正直、オリンピック自体が面倒だなって思ってる方なんですよ。だから、あそこまで炎上しなくてもって思うんですよね。

っていうか、なんかもう疲れないのかな?叩く人たちも含めて。

再度言いますが、僕はデザインのことはわからんし、利権のこともよくわかりません。
あのロゴ一つで大きなお金が動くということはなんとなく想像がつくけど、オリンピック賛成派ではない僕でも、どうせやるなら成功して欲しいし、その成功はロゴによって決まるわけでは絶対ないわけです。

どちらかと言うと、ホスピタリティーが大事なわけだし。

っていっても、まぁオリンピックなんざ経済成長の武器でしかないんだろうけどね。

ついでに国立競技場について

僕はね、ザハの案、別に悪いとは思わんのですよ。
ま、それは本当に直感でしかなくて、ああいう建物あってもいいじゃんって思うだけなんですが。

ただ、きっと問題はプロセスの開示がなされていない、ないしは開示されててもどこにあるのかわからないとかなのかな?って思うんです。

建設業界って団塊の世代の職人さんがいなくなって、単純に人がいないってだけじゃなくて、そもそも技術の継承がなされていない部分があるらしいですね。見て盗め的な。
こんだけ技術が進んでもそういった職人の技術が必要っていうのは、ある意味とてもホッとするというか、人間まだまだやれるな!って思う反面、いまさらそれかよ!って突っ込みたくなる気もします。

職業人口がどんどん減っていく中で、これらの問題はきっと建設業界だけじゃないのかなって思うのと、それと反対に労働力をオートメーションに変えられていくという事実。

オートメーションがもたらす恩恵もあるとは思うし、どちらかと言うといい方向に進めばいいけど、日本って無駄が好きじゃないですか。だから、なんかせっかくの技術も無駄にしそうな気もしますよね。旧態依然とした管理方法が続く限りは。

あ、何が言いたかったんだっけ。まいいや。

あ、松本隆イベント、最高でした。

先月のことですが、松本隆作詞家45周年のコンサートに行ってきました。
案の定泣いた曲と、やっぱり笑った曲と、泣くと思ってたけど泣かなかった曲と、案の定どうでもいい曲とがありました。なかないだろうなって曲でなく曲はありませんでしたが、これはいいや!って驚きはありました。

泣いたのはやっぱりはっぴいえんどのメンバーで演奏した「夏なんです」。
これにはやられた。一曲目から泣いた。

あとこの日のメインイベント、安田成美の「風の谷のナウシカ」。

とても良かったのが吉田美奈子。

可愛かったのが早見優。

演奏陣はまぁ、良かった。

総合的に、僕の今年の夏はこれだった。

でもってデモについて

僕はね、個人的にはデモには行かないんですよ。
理由は面倒臭いっていう言葉を使ってもいいかも。

だからと言ってデモに参加している人を否定しないし、彼らが世の中を少し動かしてくれたりしたら、それには感謝するんですよ。

あ、でもね。こういう風に書くと「お前は参加しないで、いい目だけをみて」っていう意見が出てきそうなのが今のネット社会なんだけど。

それ違うって。

なんか参加しないと恩恵に預かれないみたいな空気がとても重い。
恩恵に預かるって言葉は不適かもな。
ま、でもいいや。

多様化の中で、私がやっているのに貴方はやっていないじゃないかを言い出すと、それぞれがやっていることが良くてもそれは発散こそすれど収束はしないですよ。

認めなくてもいい。無視でもいい。でも否定はもう勘弁。

ソフトランディングが良いかはわからないけど、それもひとつの方法で僕は今の所それを望んでいます。
強いリーダーが必要な部分もあると思うけど、それは大局においてはどうなのかな。必要なこともあるのかな。

はー。
僕にはわからないことばかりだ。

でも、僕は僕なりに前に進む所存でございます。

もう少しさ

優しい社会になってほしいよね。
辛い人にはどんどん辛い社会になっていきそうな予感がします。
もちろんそれに向かっての努力はしているんだけどさ。

なんかおっつかなくなってきた感あり。

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