月別アーカイブ: 2019年8月

誰もいない夜の神社で

伊豆山神社

神社に行くとなにか落ち着く。

参拝したいという気持ちで行くわけではない。ただ単に静かな場所として、りんとした空気が流れる場所として好きだ。

何もかも見透かされた気になる。そんな空気が流れている。逆に言うと僕には見透かされると少し困ることがたくさんある。そんなに悪いことではないけど。見透かされたくないという気持ちがいつも心のなかにある。

自分を開放するって結構大変。仲の良かった歌い手さんのなかにも結構そんな人が多かった気がする。そのくせステージには立ちたいっていうね。

あまり自分を表現するのがうまくない人が歌っていたりする。

結局何かしら自分を表現するっていうのは、人間が生きていくにおいて大きな意味を持つんだろうなって思う。僕も誰が読むかわからないこんなところで文章を書いているわけだし。

そう、僕自身にもどると、やっぱり色んな人に自分の表現を知ってもらいたいし、やっぱり認められたい。この認められたい感がやっぱりあれね。二流感漂う最大の要因なんだろうけど。

貴重な一日一日をどうやって過ごすか。せっかくの大事な休みだから、いい表現ができるよう、動き出すとする。

みんなにとって、良い一日でありますように。

コラムカテゴリの最新記事

Subscribe to kasitaku homepage

雷を伴う雨が朝から降り続いている

うっすらと空が白み始めたころ、遠くから雷の音が聞こえてきた。起きようか起きまいかとぼんやり考えながら布団の中でゴロゴロとしていた私は、だんだん近づく雷のゴロゴロに促され、昨夜まくらの近くにおいたスマホを探す。

ああ、もうすぐ6時か。起きてもいいかなとかぼんやり考えていると、先程ぼやけていた雷音がだんだん明瞭な音となって、屋根の上に近づいてきた。

それと同時に先程の小雨が、大きな雨音に変わり屋根を叩きつける。

時間を確認するだけのために手にとったはずのスマホは、いつしかツイッターの画面と変わっていた。ただなんとなく、ツイッター内の時勢を眺め、ただなんとなくサッカーの情報を頭に入れる。

階下では、母親が起きたみたいで、何やら物音がする。

雨音が少し弱まったころ、やっと起き上がり、パソコンに向かう。そういえば昨日PHPを更新しろと言ってたなと言うことを思い出し、ホステキングサーバーの管理画面から作業をする。この手の作業はどうしても億劫になる。何が起こるかわからないし、なにか起こっても自分でうまく対処できるか心配である。

特に自分のサイトに関しては、バックアップ等まめに取っているわけではなく、かといって念入りに準備するでもなく。ただただうまくいくことを祈って更新ボタンを押す。

考えてみると、世の中仕組みはわからないけどとりあえず一応の自分の意思でボタンを押し更新していく事象が多い気がする。中身のシステムとかもちろんわかっていないし、ほぼほぼエラーは起きない。でも自己責任。ただ、自己責任っていっても文句つける人は多数いるから、サービス側は一応の対応はしてくれる。

この手の対応は結構社会を疲弊させる気がする。もちろん対応する側は給料という形で、利用者は利用料という形でお金を媒介して作業の正当性と義務をお互い疑うべくもなく感じている。

でもそこに払われる対価は、実際の作業量よりも低いだろうし、もちろん払う側は大した金額を払っているわけではない。

そうやって僕らは中身がわからないボタンを押し続け、更新を続ける。社会は発展しているかもしれないが、われわれは少しずつ退化しているのかもしれない。

退化していくことを良しとしたくない固めに、自分ができることをしっかり考えて行動したいものである。

コラムカテゴリの最新記事

Subscribe to kasitaku homepage

どこにいても本音を言えない

自分を偽って生きている。いつからだろう。ずっと偽っている。偽らないと生きていけないし、死にたくない。

でも偽って生きていくことで、嘘に塗り固められた自分が、ごつごつしたいびつな形の自分が出来上がる。

単純に弱いだけの人間だってことは知っているし、弱いことが悪いことだとも思っていない。ただ生きていても意味がないことは知っているし、でも心ではいけないことも知っている。だから今やれることをやるだけなんだけど、もう少し自信を持って生きてもいいのかもしれない。

今の所光は全然見えないけど、方向はあっちかな?ってぐらいはわかってきている。そうじゃないとここに文章残さないだろう。

少しずつ、続けることが大事で、文章を書くことも続けないと上手にはならない。絶対に。

継続することが僕の人生における最大の過大なんだと思う。

でも考えてみたら、継続して生きてきたな。

それだけでも褒めて上げていいのかもしれない。

もっと自分に自分が甘えることに関して、寛大でいたいものだ。

さ、一日が始まるのでとりあえず生きるとする。

コラムカテゴリの最新記事

Subscribe to kasitaku homepage