月別アーカイブ: 2013年12月

ジョンレノンの生まれ変わりは世界に何人いるのか?

去る12月8日、とある場所にて「うちの子今日誕生日なんだよねー、ジョンレノンの生まれ変わりなんだよ」ってお父さんが言っていました。

適当に聞き流せない僕は、「お前の息子がジョンレノンの生まれ変わりという根拠はなんだろう」と考えたんですが、文脈から推測するに「単に誕生日が、ジョンレノンの命日と一緒」ってだけだと思われます。

僕的には最低でもジョンレノンが死んだ瞬間に産まれたとか、そういう条件を満たしてほしいと思ったんですが、まぁそれはいいとしましょう。お父さんにとったらそれが売りなんだから。

ってことで、じゃあ彼のお父さんの言うところの世の中にジョンレノンの生まれ変わりはどれくらいいるのか?って事を考えてみました。

まずは条件を明確化する

・1980年以降に産まれた、誕生日が12月8日の人
・地球に産まれていること
・男であること

これくらいでよしとするか。

ってことは世界の人口動態を調査する必要があるってことだ。

人口動態について

まず、データは総務省統計局のこちらから拝借した。
現在地球には70億人住んでいる。
ちなみに1980年の世界人口は45億人だ。

ということは、この間産まれた人はザクッと25億人だ。
(なくなられた方がどれくらいいるかは、この際考えない。)

さて、じゃあ25億人の中で12月8日生まれがどれくらいいるか?だが。
ここはさくっと365で割らせてもらう。笑わせてもらうじゃない。割らせてもらう。

するとだいたい68万人が権利を有する事になった

まずは、ジョンレノンの生まれ変わりの権利を得られる第一段階を通過したのは68万人だ。

地球に産まれていること

さて、この68万人、全員地球に産まれているか?、要は地球人かってことだが。
これは地球人ということにしよう。

男であること

実はここは難しい。生まれ変わりの性別が同じかどうか。
僕はジェンダー論に明るくないので、ここは割愛させて欲しい。
少なくともジョンレノンんは男だったってことで、男に限定させて貰う。
上記に習い、思い切って68万人を2で割らせてもらう。
すると34万人だ。

これが、そのお父さんの言うところの「ジョンレノンの生まれ変わり」なわけだ。

しかし僕はやっぱり考えた。

ジョンレノンの生まれ変わりだから、やっぱりなくなられたすぐ後に生まれていて欲しい。
そうなると、彼がなくなったのは1980年なので現在2013年、この間33年。
やはり上記の34万人を33で割らせてもらいたい。(厳密に言うと、正解人口の増加率から考えたらこれで割ったらダメなんだけど。)
そしたら約1万人に生まれ変わりの権利が与えられたわけだ。

ジョンレノンはアメリカ東部時間の23時ごろのなくなられたそうだ。
まぁ、時間は良い。
生まれ変わりの定義を、「亡くなった瞬間に産まれた」と仮定するのであれば、あとは瞬間の定義だ。
瞬間を最低単位の秒としよう。

1時間は3600秒、1日は86400秒。
おっと、こうなるとジョンレノンの生まれ変わりが世の中にいる確立は0.04人になってしまう。

ってことはだ。
ジョンレノンの生まれ変わりは世の中にはほぼいないと推測されるわけだ。

あくまで机の上での話ではあるが。

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卒業以来に会った友人の変化と普遍性。

先週だっけ?大学卒業以来合っていないサークルの仲間と会った。
Facebookで名指しで会えと言われたので行ってやった(笑)。

そして、思わずいろいろ、話さなくてもいいことまで話せた。
そして確信したのは、僕らは仲間だなってこと。

お互いのこと、そこまで知らなかったんだ!って事

僕らは大学生とは言え、やはりガキだった。
お互いがカッコつけていて、何かを隠しながら自分を大きくみせることに終始していた。
そしてそれが僕らの大学生活だったんだなーと。

それでも、薄々わかっていた本性とかをお互いに認めつつ、表面上はなんてことなく付き合っていた。

そして、その薄々わかっていた本性の裏には実はもっと大きな、人としての凄みというか。
僕にとっては「あ、そんなにすごいことを考えていたのか」「そんなに努力をしていたんだ」ということが隠されていて、僕は心底彼を尊敬した。
そこまでかかるのに大学卒業後17年を要した。
でも、その時間がまた大事だったんだなって思ったのは、僕らが大学時代にお互いがどう思っていたかを話した後だった。

卒業後の頑張りが半端無かった

大学時代に既に僕と彼にはすごい差があったことはわかった。
でもその後がまた凄かった。
僕がたらたらと過ごしていた間、すさまじい戦いをしてきたという話。
正直大学時代に僕は彼をある意味見下していた。
でも、それは彼がそうさせてくれていたって言うか。勝手に僕が偉そうにしていただけで。
彼は誰にも恥じない生活を送っていた様に見えた。
もちろん自分自身にはもっといろいろ有るんだろうけどね。

お互いが心を打ち解け合ったと思える時がとても嬉しくて、話し足りなかった。

彼の話を聞き、僕の現状を伝え、彼の経験からアドバイスを受け、僕は彼に感謝した。
散々真面目な話をした後に、やっと昔みたいなバカ話ができた。

そう、最後にやっぱり馬鹿話ができた。あの時よりももっとバカみたいな話を。
時間が解決してくれるって書くと、僕らの間に問題があったみたいだけど。
もちろん問題があったわけではない。

でも、あえて言うならその言葉がしっくり来るというか。

僕自身にとってこの歳になってわかることが多いなーってわかった。

10年後が楽しみだ。

僕らの学年は多分サークルに15人ぐらいいたはずだけど。
今でもよく会うやつも居れば、今回の彼みたいに卒業後あってない人は多い。
でもそれぞれが過ごした20年近くを僕は知りたいなって思ったし、もっと歳を取って皆で会いたいなって思った。

僕らはやっぱり同じ穴の狢なのだ。
素敵な価値観を共有して、世の中に役だてることができる歳になってきた。

いつも会えるわけではないが、近かろうが遠かろうが僕らがもっといい社会を作っていきたいねってことでさようならした。

いい時間を過ごした。

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特定秘密保護法案周辺を見てて少し怖い気持ちになった。

この前の特的秘密保護法案の決議に際して、いろんな新聞やネットで見たり調べたりしたんだけど。

で、僕自身は賛成ですと言っています。
ま、それは良いです。賛成と言ってもここは疑問よね?って言う部分が反対派意見を持つ人と同じだったりするし、一概に全てが良いとか言うつもりもない。

そもそも原稿法案は、あくまで実態に伴った処罰を与えるものだと思っているから、朝日新聞が伝えるような偏った法の使われ方はありえないと思っている。

さて、二つほど怖くなったことを書きます。

流石に説明不足だったかもね。

よく調べたりしたらなんてことない法案だったと僕は思っていますが、現代人、よく調べるどころか、ネット上で軽く見た内容を正とする傾向があります。
ま、ここらへんは原子力に関しても然りですが。

だから、やっぱり面倒でももう少し説明が必要だったのではないかな?って思います。

ま、思惑がどこにあるのか?は最終的にはわかりませんが。

あ、ちなみに僕は自民党支持ではありません。

反対派が右に倣えに見えた

反対意見があって当然だったんだけど、なんか上にも上げた朝日新聞の反対論調は流石に逆の怖さを感じました。これこそ扇動じゃないかな?って感じ。
ま、概ね各社反対が多かったように思います。

反対意見があって当然で、どの部分が反対か、そしてそれに対してどう説明するかができれば良いんだけど、実はこれって国の法案に限らずなんでもスピードで片付けてしまう世の中の風潮がそうさせているんじゃないかなーって思います。

僕はもっと自由な事言って、色々考えて、自分なりの答えを出しながら生きていきたいと思います。

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自分が思っている評価と他人からの評価の差が激しい。

最近思うことですが。
今更ですが、自分が思っている自分、自分がなろうと思っていた自分と全然違ってきているなーと思うわけです。

思っているだけで努力をしてこなかった人生半分。

たかだかインターネット上のゲームみたいなものでも、僕は絶対的に左脳の人間と思っていたのに、すごく右脳的だという結果が出たり、マルチタスクが得意と思っていたけど、どちらかと言うと一つのことしか出来ない(本当は一つのこともちゃんと出来ない)んだなと。

どうしてこうなったのかな?って考えてみたんだけど、やっぱり自分をかっこ良く見せようと言うか、変な理想があるんだけど、それを努力をしないで追ってきた結果なのかなということです。

簡単に言うと僕は「努力」を怠った人生を40年送ってきたってことです。

自分が出来る範囲のことしかしてこなかったので、自分が出来ると勘違いしてきたわけですね。
そして自分が出来ない範囲のことに対して努力することをしてこなかったので、今やそこに対してのアプローチすらやり方がわからない。

そういえばギターを始めて最初から弾けないフレーズって未だに弾けないもんな。

自分が現状出来る事だけで勝負出来るんだったらいいんだけど、絶対そんなことないんだからね。

周りの羨ましい人を見てみると僕との違いがよく分かる。

ちょっと努力っていうのとは違うかもしれないけど。
我慢だったり、感情の使い方だったり。人への接し方だったり。
学ぶべきことは沢山あります。

もっと言うと、自分以外の人全員に学ぶべきことは沢山あります。

皆苦労して今があるって言うのがよく分かる。
のほほんと過ごしてきた自分にかけていることが沢山ある。

僕も他の人に胸張って「これを頑張ってきた」と言えるものが欲しい。
でもちょっと怖い。

そんな不惑だけど迷っている40歳です。

10年間続けられることを今更見つけようと思う次第です。

さて、だからといって今から死ぬわけではなくて、今からもっと生きていくわけです。
なので、少しずつ努力をしつつ、いきなりでは難しいのでご褒美を用意しながらやっていこうと思ってます。

ここ数年で比較的続けているのはブログですね。
ブログはなんとなく自分発信としてちゃんと続けていきたいなって思います。
最近良く「読んでるよ」って言われます。少し意外な人から。
嬉しいもんですよね。

さて、努力に報われるご褒美が思い当たらないところが、これまたなんか自分の努力不足を痛感するところではあるんですが。。。

今後も宜しくお願いします。

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