月別アーカイブ: 2013年3月

サイエンス教室「マシュマロチャレンジ」をやってみたよ!

昨日はサイエンス教室でした。
僕がやっているサイエンス教室は、「え?それサイエンス?」って言われそうな内容なんですが、実際僕もこれがサイエンスそのものだとは思っていません。でもサイエンスの一部であることは確かです。

昨日はいつもやっている実験とは趣向を変えて「マシュマロチャレンジ」をやって見ました。

で、マシュマロチャレンジってなんや?と。

ご存知の方もたくさんいるとは思いますが。
詳しくはこちらのTEDの映像をご覧ください。

簡単に書くと

・パスタ20本とテープ90センチ(本当は紐も使うみたい)を使って自立する塔を作ります。
・4名くらいのチームでやります。
・定められた時間内で作ります。
・塔の最上部にマシュマロを載せます。
・タイムリミットの時点でマシュマロが一番高い位置にあったチームが勝ちです。

とてもシンプルなゲームなんですが、これが面白いんです。

ルールが少ない時、人は少し不安になる

なかなか説明だけではピンとこないみたいですね。
でもとりあえずスタートします。

そしたらみんななんか不安なんでしょうね。「これして良いですか?」って質問がたくさん出るんです。僕は「良いんですよ、何やっても。ふふふ。」って言いながら積み木で塔を作って遊んでいるんです。

そしたら当分悩んでいた皆がチームで考え始めるんです。

不安を通り越した時、人はずる賢くなる(笑)

だんだんなにやっても良いんだな?って感じ始めると、人はどんどんずる賢くなります。時としてルール違反しそうになった時は止めますが、「ほほー」と思うようなことをやり始めます。

実はこの「ずる賢いこと」を考えだす時間に達することはとても重要です。

自由に考え始めている証拠です。

頭の柔らかさは若い子には敵わない

実は今回は、大人にも参加してもらいました。理由はTEDのビデオで「子供の方が高く作れる」って言ってたからです。(詳しくはビデオ見て見てくださいね。)
で、今回試して見て理由がわかりました。

大人だけのチームは「あーだこーだ」言いながらなかなか作らないんです。子供のがいるチームは、子供が「つくっちゃう」んですね。でたくさん失敗するんですが、次のことを考えるんです。
子供だからと言って、これがなかなか理論的というか、失敗をちゃんと活かすんですね。

失敗って、やっぱり本を読んだりして身につくんじゃなくて「体験」することが大事なんだなって学ぶわけです。ってか僕が目の当たりにしたんです。

もう一つ重要なこと

このゲームの重要なところは「トライアンドエラー」ともう一つあります。それは「チームとして動けるか?」ってところ。
実は、大人はあーだこーだ言っているようで「あんまり人の言うこと聞いていない」んですね(笑)。
子供もあんまり聞いてないんだけど、勝手にやっちゃうから、結構気の利いたことをやっちゃうんですね。勝手にチームワークなんです。

時代が求めている作り方

多分世の中から「大型開発」が消えて行って、もっとミニマムなものを積み重ねる時代がきているんでしょうね。そしてそれができる技術革新も進んでいるわけです。IT技術の発展や3Dプリンター然り。

良し悪しはわかりませんが、確実に個の力がもっと発揮されていい時代に突入しているんだと思います。

今からの子供もですが、僕ら大人ももっと柔らかく自由な発想をもってやって行きたいですね。
マシュマロ・チャレンジ作品

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なんで大人のほうが片付けたがるのか

多分に漏れず、小さい頃は僕も片付けはしませんでした。
だって別にしなくてもどうってことなかったし。

でも最近、っていうか年齢を重ねるに連れ片付けないと気持ち悪い気がして来ました。

大人が「片付けろ」子供が「あー、うー、めんどうくせー」の図

先に書きますが、大人でも片づけしない人は沢山いると思います。
でも子供の時のほうが「片づけする理由」ってわからなかったと思うんです。
子供って言っても。大学生ぐらいまでずっと片付けしなくてもどうってこと無かったもんね。

昔から子供とか友達とかから「片付ければ」って言われることはあんまり無かったけど、大人からは「片付けろ」って言われてました。
なんでそんなに片付け好きなん?って思っていましたが、なんとなくわかる年齢になって来ました。

目から入る情報もめんどくさい

でも最近は、ちょっと片付いていないと気になります。(だからすぐ片付けるかは別。)
で理由を考えてみたんだけど、多分頭の中に”くだらない”情報がパンパンで、せめて机の上とか部屋とかは綺麗であって欲しいって思うんじゃないかな?って思ったんです。

このくだらない情報を上手に捨てられる事が大事なんでしょうね。
鬱病とかもきっとそのゴミが溜まっているから起こるんじゃないかな?って思います。

そしてそのゴミを綺麗になくすためにも「片付け」が必要になっているんです。

要は限られた能力のなかで、どうやりくりするか?って話

片付けることによって、少し気分がスカッとすれば、その分きっと無駄なゴミが自然と消えていくんだと思うんです。
よく「全然片付いていない」けど、クリエイティブに生きている人は、きっと頭のなかの無駄なゴミがないんだと思うんです。
だから別に視界にうつるものなんて気にしない。

人それぞれ能力の発揮方法は違うはずなので、それぞれにあった形で頭のなかのゴミをちゃんと捨てられるようにしていくべきなんですね。

そう考えると、どうやら僕は片付けをちゃんとしないといけない人種なんだろって思うわけです。

ってことで片づけします。

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東北の震災から2年が経ちます。

あの時僕は、福岡の時の友人と有楽町でお茶をして、丸ノ内線で家にかえる途中でした。
激しい揺れを感じたのは銀座駅を出てすぐ。

ちょうどその時読んでいた本は「スティーブ・ジョブズ 脅威のプレゼン」。
僕は怖くてしょうがなかったのと、何より家族が心配でたまらなかったんですが。
何もできず本を一生懸命読もうとしていました。

となりの若者はゲームに熱中していました。

ゆっくりゆっくりと地下鉄は進み、国会議事堂で降ろされ、妻の職場に向かいました。
幸い妻とはすぐに出会うことができ、息子の安全も電話で確認出来ました。

家まで歩いて帰りました。妻の歩くスピードは早く、息子のことを思う気持ちの強さを今でも覚えています。

家に帰り、なんとか夕飯を食べ、後はテレビを呆然と見ていました。
息子はその日に覚えた「地震」というキーワードをその後何回も繰り返し口にしていました。

それから2週間ぐらい、生きた心地がしないまま。

とは言いつつ二年があっという間に2年が経った感じです。
途中やはり忘れることもありました。

ただ、今日だけはしっかりあの日のことを思い出すべきかなと思っています。

時間になったら黙祷します。

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おもしろ算数教室「お買い物ゲーム」が面白かった。

ちょっと前ですが、先週の木曜日にいおぎみんなの学校で「おもしろ算数教室」をやってきました。

今までのおもしろ算数教室はこちら

この算数教室は、いつもの「サイエンス実験室」とは別で、木曜日に開かれている「能力開発ラボ」の中の一つなんです。

サイエンスと算数

 
さて、私サイエンス実験室をやっていますが、日頃からとても疑問に思っていることがあるんです。
特にサイエンス(理科)は関連性が強いんだけど、いわゆる5教科(今は5教科って言わないのかな?)って切り離して勉強してもつまんないですよね。
サイエンスやっていると、どうしても数学的な話になるんです。
で、最近は勝手に計算問題とかもさせてるんだけど、そっちのほうが子どもたちも楽しそうにやってくれるのね。

ってことで、算数教室を担当するからには「ただ計算が強くなってもしょうがない」って思ったわけです。

ってことで引き受けたんだけど、プログラムは結構考えました。

みんなの学校プレゼンツ:「お買い物ゲーム」

さて、じゃ何しようって話になって、いろいろ考えてたんだけど、結局「最初は簡単に「お買い物ゲーム」にしますか!」なんて簡単に決めちゃったんですね。

で、どんどん当日が近くなってきて、真剣に考え始めるわけです。
そしたら結構難しいって言うか。奥が深いね、お買い物ゲーム。

どこまで難しくしていいか?ゲーム性は?が難しい

「おもしろ」ってぐらいだから、面白く無いといけないってことでいろいろ考えました。
題材は八百屋さんです。

用意したのは野菜各種と、みんなの学校内通貨。数は適当。
プレイヤーは「買う人」「八百屋さん」「問屋さん(市場)」が必要と考えました。
ただ、今回は市場は難しいのと、人員及びスペースが少ないので省きました。

ルール等は以下です。
◯役割

  • 生徒=買い物をする人
  • 先生、スタッフ=八百屋

◯ルール

  • 一週間、毎日八百屋にお買い物に行くというシミュレーションゲームです。
  • 毎日決まった額のお駄賃を渡します。金額は日によって違います。
  • 毎日「これだけは絶対に買わないといけない商品」を設定します。
  • 毎日お駄賃は使いきってください。
  • 商品には標準小売価格及び仕入れ原価を設定します。(しかし生徒には教えません。)
  • 八百屋の値付けは自由ですがトータルでの原価割れはNGです。
  • 最後に買った商品を標準小売価格で計算して、最終的にその額がおおい生徒が勝ちです。
  • ただ、生徒には「とにかく商品を買ってください!と話しました。(厳密に言えば嘘なんですが。。。)
  • 裏メニューとしては、八百屋毎の売上(粗利)も計算して、スタッフ同士も競えますね。

ってことで、戦場は整った(笑)!いざ買い物へ!

やってみてわかった難しさ

今日は買い物ゲームをします!ってことで、月曜日からスタートです。
お金を渡して、いざ買い物へ!
3人のスタッフがそれぞれ好きな金額を決めています。
子どもたちはまだ最初は「値切る」という技は身につけていません。
最初に目に入った商品をどんどん買う感じ。
当然それぞれのスタッフのお店は「ボッタクリ」の店もあれば「良心的」な店もあり、ぶっちゃけ「おい、経営できているのか?」って店もあったりします。
月曜日の買い物を終えて、皆に集まってもらいます。

「さー、ちゃんと買えたかな?」
なんと、「お釣りができてしまうから買えなかった!」という子がいました。
あー、なんと真面目なこと。

火曜日の買い物をスタートする前に話します。
「お金を使い切るってことは、「安くして!」って言ってもいいんだよ。」
「お店によって値段が違うかもよ。」
子どもたちは「!!」って顔をします。
火曜日から急に「大阪のおばちゃん(想像上)」に返信です。
「安くしてよ-。」
お買い物終了です。
月曜日よりも沢山買って来ました。

水曜日ぐらいになると面白い傾向が見えてきます。
なんと「決して安い店」だから買うわけではないという状況が生まれてきます。

ここら辺で1時間が過ぎようとしていたので、木曜日のお買い物で最後にしました。

ここで問題発生。
各店舗、実は最初に均等に仕入れしてたんですが、商品がなくなってきました。
ところが、途中で勝手に市場から盗んでくる店も出てきていて、各店舗で在庫の数がまちまちになってきたのです。
急に売れる店と売れない店がはっきりして来ました。

なんたるや、たったの1時間、小学生と大人の攻防において、市場原理が働く展開にびっくり。(嬉しいびっくり!)
奥が深い買い物ゲームとなりました。

学んだこと


当初想定していたのは「生活の中での計算力」と「コミュニケーション力」だったんです。
ただ、計算力については「ねー、これとこれでいくら?」みたいな話になってなかなか自分で計算する機会がなかったですね。
反省点です。

コミュニケーション力については、想定以上の結果が出ました。
単純に値引きをするわけではなく、上にも書いたように「お客さまの質問」を親身に聞いてくれるから買ってくれるなど、子供ながらに色々考えて買ってくれました。

あとの反省点と言えば、「なんで毎日野菜ばっかりなんだ!」とか「忙しさにかまけて、店舗の売上は計算できなかった」とか。
以下に八百屋が大変な職業なのか?ってことをスタッフ側が知ることができました。

今後に向けて


今後は売り手も生徒がやったり、動やったら売れるか?をマーケティングしたり、ポイントカードなどを導入したりなど、大人も一緒に楽しめるゲームになる気がしています。

ただ、面白いのは重要ですが、「なんで?」をもっと入れる工夫も必要かも知れません。

なかなかおもしろかった買い物ゲーム。バージョンアップ版を以下の日程で開催します。

■いおぎみんなの学校 土曜スペシャル
「買い物ゲーム 90分版」(題名は仮です。。。)
3月16日 13時半~15時

皆様、大人も一緒にぜひご参加ください。
お申し込みはいおぎみんなの学校(tel:03-6765-1616)まで。

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メールにイラっときた時の対処法

を知っている人は教えて下さい。

ま、でも。
なかなか教えてもらっても、その方法が自分に合うかどうかは別なんで。

じゃ、僕が今日頑張った方法を教えます。

イラッと来るメールには伏線がある

そもそも、たかが一回のやり取りでイラッと来るはずはありません。
大体が「何回かのやり取り」の元、イライラが募ってくるんだと思います。

最後に来たメールが最高にイラッときたんですが。
まずはやり取りをちゃんと見直します。
自分が何を言ったか。相手が何を言ったか。

そもそも何が問題なのか?

一回むかつきをメールの文面にしてみる

ま、でも。そんな何が問題かなんてほとんど関係なくなっていますよね。
だってイラッとしてるんだもん。
だからそのイライラを返信メールに書いてあげます。

どれだけ相手を傷つけてやろうか?なんか考えながら罵詈雑言を並べてみます。

で、読み返してみてます。

あー、俺はなんてくだらない事をしていたんだ。。。

実はイライラっとしたことに対して、すぐにイライラってしたことを返してもしょうが無いんですよね。
エスカレートするだけなんです。

僕の場合はこういう時は話すのが良いと思うんですが。
なかなか皆がそうでもないみたいですね。

あと、結構自分のことを棚に上げている場合もあります。正直あります。
僕が悪いんですってこと。

あとは、そもそも人ってそんなに悪いこと考えていないはずなんだよねってのを、どこまで考えられるかですね。

ってことで

やっぱり先に誤ったほうがいい場合が多いみたいです。

ちゃんちゃん。

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ちょっと食の話

最近、自分の中の食に関する感性が少しかわってきてるとなと感じています。

もちろん年齢的なこともあります。
食べる量は確実に減っていて、ご飯のおかわりなんてもう出来ません。
ま、たまにします。

昔は以下にご飯に合うおかずでおかわりするかを考えていました。
浜勝に行けば、最初にぶらぶら漬けで一杯、その後カツで三杯みたいな食べ方をしていたものです。
男子なら全員がそうだったはずです。

しかし最近は「ご飯は一杯でいい、肉も食べ放題じゃなくて良い。美味しいものが食べたい」って思うようになりました。

美味しいの基準も変ってくる

さて、美味しいものなんですが。
昔は脂っこいものだったり、味がしっかりついたものを好んでいましたが、最近は「うむ、良い出汁だな」とか「控えめな塩加減で素材の旨味が出ている」なんて勝手に思っています。

ま、とは言いつつも調味料は使わないわけではないし、こってりお好み焼きとかは好きなんですけどね。

野菜も美味しいなって思い始めました。人参は苦手ですが。

甘いモノが大好きなんですが、洋菓子よりも和菓子が好きになりました。

だんだんシンプルな美味しさを感じ始めています。

そもそも、もっとシンプルでいいんじゃないかな?って思ったこと

実は以前紹介した「水神」の影響なんですが、日本人ってもっと質素な生活をしていたんだよなって事をあらためて考えるようになりました。

この小説のすごいなって思ったことの一つとして、食事の描写が素晴らしいことです。
とても貧乏な村の質素な食事風景がほとんどなんだけど、とても気持ちのこもった料理が沢山出てきます。
あー、そもそも食事ってこうだよな。今はただ単純に飽食の時代ってだけで、こういうのが本来なんだろなって思ったわけです。
もちろん、小説の舞台は米がまともに収穫できない所なので、そこまで質素になってもらうと困るんですが。
僕らは今とても美味しいものを簡単に食べられる世界、人類の歴史上、とても稀な時代に生きているんだなってことを思うわけです。

各家庭で食をどう考えるかで日本の未来が変わる(気がする。)

僕は食育って言葉が流行っています。
食育講座なんてものが流行っています。
学校での給食で食育とか。

ま、悪くはないんですが。

やはり今後各家庭で食を一生懸命考えて行かないといけないんだろうなって思っています。
毎週のようにどら焼き食べていますが、もちろんどら焼きが悪いわけではないですが。

大学の先輩も自炊に目覚めていることだし、我が家ももっと自炊率を上げていこうと思います。

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ライ・クーダーさん、あんた素敵です。

2013年2月5日 杉並区 快晴

今日の杉並区は快晴です。
もう春ですよね。とても気持ちが良い一日が始まりました。

ちょっとサボっていた洗濯を回し終えて、上の階のベランダに干します。
上の階にはステレオを置いているので、洗濯を干すときには音楽を聞きます。

最近なかなかステレオの前で音楽を聞くことが少なくなっています。
こういう時間がとても貴重です。

その日の天気とか気分によって音楽を選ぶわけです。
その部屋においてある音源はお気に入りを置いています。
お気に入りはほとんどが20代までに買ったものです。
だから、お気に入りとは言っても「ちょっと飽きた」感もあります。

しかし、発見ってあるもんですね。嬉しくなりました。

今日の天気にピッタリだった!

今日選んだアルバムは、ライ・クーダーの「紫の峡谷

世間的にはライ・クーダーの代表作と呼ばれるこのアルバムですが、僕の中ではライ・クーダー的順位はそこまで高くないアルバムです。
個人的には「流れ者の物語」とか「Jazz」がお気に入りです。

でも今日はビックリ。なんと季節といい天気といいこのアルバムが合うんだろう!
一気にライ・クーダー的順位が上がりました。

このアルバムの僕的順位が低かったのはなんでだろう?って思ったんですが、勿論深く考えたわけではないんだけど。
ま、ぶっちゃけ年食って程よく聞こえやすくなったのかな?って感じです。

僕にとってのライ・クーダーについて

この人多分、最近(って言ってももう昔だけど)はヴェンダースと組んだ「ブエナ★ビスタ★ソシアル★クラブ Film Telecine Version [DVD]」などのサントラの活躍のほうがミュージシャンとしてより有名ですよね。多分。

僕のライ・クーダーとの出会いは覚えていません。でも僕の好きな人達との関連が強い人なんですよね。

僕は2つ世の中に好きなバンドがあります。「ザ・バンド」と「リトル・フィート」。
で、その一つであるリトル・フィートのファーストアルバムの中の名曲「Willin」でスライドギターを弾いているのがライ・クーダー。

僕の大好きな映画と言えば2つあって「未来世紀ブラジル」と「パリ、テキサス」なんだけど
パリ、テキサスは前述のヴェンダース作品で、そのサントラはこれまたライ・クーダー。

何かとキーマンなわけです。
世間的にはスライドギターの名手だったり。
ま、僕の説明なんていらないですよね。すんばらしいミュージシャンです。

いやー、音楽って良いですね!

最近は演奏もできていないし、音楽聞くことも楽しんでいなかったなーってつくづく思います。
音楽を流していないわけではないんですよね。
聞き流している、BGMなわけです。

でも、せっかく今日はいろいろ気づいた日なんで「あー、幸せだなー」って思いながら音楽を聞く時間を作ろうと思います。

さて、その前にいろいろやっちゃおうかね。

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妻に教えてもらった「信じること」の重要性

先週の土曜日、サンデル教授が東北大学で行った講義の模様がNHKで放送されました。
サンデル教授といえば「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
」ですね。

もうすぐ東北の震災からまる2年が経とうとしています。
然るべく被災について「自分が助かるか?人を助けるか?」みたいな議論がありました。
それを見ながら僕が何気なく「うちのおかんは、車椅子の父をどうするやろか?」って妻に話したんです。

そしたら思いがけない答えが帰って来ました。

僕に見えるもの、見えないもの

僕は父母のことを妻よりも知っていると考えがちです。
もちろん物理的に一緒にいる時間が長かったわけですし、感性は一緒の部分もあるでしょう。ただ、客観性はどうしても妻が勝ちます。
でも、今回妻が出した答えはただ単に「客観的に見ましたよ」という回答ではありませんでした。

妻の出した答えをここで書いても、別に「あっそ」って答えだと思います。
字面にするとたいした内容ではありません。何故かと言うと読んでいる人は僕の両親のことを知らないからです。
妻の回答は、僕の父母兄弟含めて、妻が尊敬の念を持っているからこそ出たものだったのです。

僕は言葉が出ませんでした。
すごく失礼な書き方をすると、「妻からそんな素敵な言葉をもらえる」とは思っていなかったからです。
感激と恥ずかしさと自分の了見の狭さが入り混じった、なんとも言えない気分になったのです。

関係性の基本は「信じる事」なんだなと。

妻とはもちろん喧嘩もするし、よくわからない行動をとられることもあります。

時に「なんか信じてもらってないのかな?」なんて思うこともあるし、声に出して言うこともあります。
同様なことを妻も思っているかもしれません。

ただ、そんなちっぽけな喧嘩の最中に人の本心なんてなかなかわからないなって思いました。
妻の回答は、僕だけではなくそのバックボーンを信じていることの証だったんですね。

そしてそこで僕は思ったんです。
信じてもらうよりも信じていた人のほうが強いんじゃないかな?と。
妻の強さを改めて知ったわけですよ。「あー、なんか知らんけど、信じてもらっとるわー」ってこと。

結婚してまだ10年も経ってないけど、まだまだ人って分かり合えるんですねってこと。

なかなか人生楽しいもんです。

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最近のこと、雑感。

月曜日になってしまいました。

本当は土曜日に書こうと思っていたんですが、書けませんでした。

純と愛

NHKの朝の連ドラを毎日見ています。
息子が大好きだから。
視聴率が良いらしいですね。

連ドラって好き嫌いが別れると聞きますが、僕が見ていてもよくわかりません。
ただこのドラマ「事件が起こりすぎやろ」って思ってのは確かです。

見てない人が大半だと思いますので内容は省略しますが、その事件が頻繁に怒ることが今回の視聴率につながっているのであれば、それは事件です。

ウルトラマンのムック本を見ていて

息子の保育園だけではないと思いますが。ウルトラマンとか仮面ライダーとかって子供が大好きですね。
そして今のお父さんたちはそういうのを見ていた世代が多いんでしょう。
あとは、結構今の若者(って言っても30代ぐらい)で、未だに仮面ライダーとか好きな人って多いみたいですね。

さっぱりわからない感性だったんですが、子供に鍛えられて最近TUTAYAに行くことが多くなったおかげで少し変わりました。

仮面ラーダーカブトってのが、見ていたらハマって来ました。今やお父さん(俺ね)が見たいくらいです。
でもウルトラマンメビウスっていうのは、どうも納得が行きませんでした。
なんで、誰かに助けてもらえないと戦えないウルトラマンがいるんだと。
そもそも戦っている時点で弱気。
そりゃないだろって思いました。

WBCとか言う野球大会が急に始まってた

僕はサッカーのほうが好きなんで、よくわからない点があります。
それは何かって言うと、「プロ野球選手ってこの大会に本当に出たいの?」ってこと。
ほら、サッカーの場合は小さい時からの夢とかで「ワールドカップに出たい」とかあると思うんです。
世界一の大会だって認識があるじゃないですか。

でもWBCって、別に小さい時からの夢でもないし、厳密には世界一を争っている感がないし。
平等でもないし。(ま、サッカーも平等かどうかは知らんけど。)
じゃ、その「夢」とかに勝る餌があるかっていうとあんまり無さそうじゃないですか。

どういうモチベーションでやっているかが不思議でたまんないっすよね。
誰か教えてください。(って言っても、出てる人しか本音を語れる人はいないだろうからなー。)

インターネットを使った選挙運動

メール利用でもめている理由がよくわからないんだけど、そういうジャッジをする人たちは結局メールも使えない人たちが多いんだろうから、別にたいした問題ではないし、そもそもインターネットを解禁したからって政治が変わるとは思えないってこと。

結果、あんまり変わらないで終わるんじゃないかな?
変われば変わったで良いぐらいの話。

そんなところです。

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Noと言わないんじゃなくて、Noと言わせない日本人なんじゃないか。

価値観なんて人それぞれ

僕の好きな万年筆のインク、ロディアのノート、珈琲。

友人と言える人や知合いって表現される人まで、いろんな人に「イベント」に誘われたりするんですが。
ぶっちゃけ行きたくないのも沢山ありますよね。
もちろん行きたいけど行けないのもあります。経済的理由とか家庭の事情などで。
もちろん僕が誘うイベントも然りです。

イベントに限った話ではないです。人に何かを勧めるって難しいんです。
そしてその際に、絶対やってはいけないことがあるんじゃないかな?って思う事がありました。

その人の事を知ってて誘ってますか?

大体が空気で分かる部分もあるじゃないですか。「この人と合う合わない」って。
もちろんファーストインプレッションだけで判断するのは間違いです。
最初はどーもダメだったけど、案外気があったりなんてことはよくあります。
ただ、気が合うからって、僕が行きたい映画に友人全員が行きたいなんてことはないし、僕が好きだからといって妻が好きってわけではない。

僕はね、妻のことを一番この世で知っていると思っているんです。妻も然りです。
妻はね、僕のことを98.7%信じているはずなんです。僕も然りです。
これは結構高い数値なんですね。
高い信頼関係の上に成り立っている素晴らしき夫婦なんです。えっへん。

だから、僕が彼女に勧める場合は、78.7%喜んでくれるんです。妻のオススメも然りです。
これは高い数値なんです。
(すべて僕が計測した数値を基にしています。妻には聞いたことはありません。)

ま、数値の高い低いは置いといて。
僕が彼女を誘う場合、お互いを知っているからこその「強い」誘い方ができるんです。
そしてその誘い方が誰にでも通用するか?って言うと絶対に違います。

そこんとこを考えて欲しいもんです。

自分の価値観を押し付けてない?

自分が良いと思うことが他人にとっていい事とは限りません。
仮にその人にかなりの経験値があったとしてもです。

理由は二つ。
ひとつは個人の尊重です。それぞれに考えの違いがあります。そして思っている以上に多種多様です。
しつこく勧めることで、その一線を超えてしまうことがあります。
相手の価値観を否定することになるわけです。

もう一つがプロセスの話です。その価値観を否定している話ではありません。
お互いの関係性ができた上で勧めることで、「あー、私とは考えが違うが、そういう考え方もあっていいな?」って思えるわけです。
それがないと「あー、うるせーな。」で終わってしまいます。
実はそれが一番もったいないと思っています。

誰も人を傷つけたくなんてないんだ。

Noと言わせない日本人と書きましたが。
日本人って本当は一定の距離感を上手に持っていたんだと思うんですよね。
それが、社会のストレスとかなんとか理由はあるんでしょうが、距離感が難しくなってきているんです。

最近僕自身が違和感を感じるのが「ヘイ!同じ場所にいるんだから皆友達イエイ!」みたいな雰囲気です。
いや、嫌いとかじゃないけど、そんなに親しくもないよって思ったりします。(僕が内向的なのは大きな理由です。)

価値観を押し付けないのところで書いた「しつこく勧められると嫌になる」と関係があるんですが。
結局お勧めすることで価値観を否定された人は、「No」言うことで相手の価値観をも否定することになります。
それってつまんない話ですよね。

根っこの所では結構同じ考えを持っているはずなのに、価値観(大事だけど、実は手段が違うだけだったりする。)の提示の仕方で関係性が崩れる。
これはもったいないことです。

結局ここでも大事なのは「相手を慮る気持ち」なんだと思います。

断りやすい雰囲気も必要かもね

日常に「ビジネス習慣」を持ち込んでいる人が多い気がしています。
「はっきり言えよ」とか「スピーディーに」とか。
「断りにくい提案書の書き方」みたいな雰囲気を社会に感じます。

ビジネス的な思考でいくと「馬鹿か?」って言われるわけですが、断りやすい雰囲気をもって人と接するというのは今後の生活を豊かにする一つの要素ではないでしょうか?
人との関係性をちゃんと築くことで、実はちょっとした価値観なんて簡単に飛び越えた良い関係ができると思っています。

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