月別アーカイブ: 2017年4月

写真が切り取っているものはなんなのか?

僕は写真がまぁまぁ好きです。
写真好きだ!と声を大に言えるほど好きではないし、詳しくもありません。
でも写真を撮るのは好きです。

写真は何を切り取っているんだろうと考えます。
思い出はあくまでも心のなかにあるもので、それは実態としてそこにあるものではなく。
もしかしたらそれはただの思い過ごしかもしれません。
写真はそれを補完してくれるものでしょうか?
そういう機能もあるでしょう。

写真はその場にいあわせない人に自分が見たものを伝える機能もあるでしょう。
しかし実際写真で切り取られたものは私が見たものそのものではありません。
あくまでも一部です。

写真は僕らのなんらかを補完してくれるものでしょうか。
そうであったら嬉しいし、そうであると思います。

僕らは写真を見て、そこに写っていない何かを受け取る。
それは未来への新たな道標になるかもしれません。

少しだけその場の空気を切り取って、見せた人がいい気持ちになる写真が好きです。

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思い通りに行かないことも多々ありますが。

生きていると思い通りに行かないことって沢山あって、それは自然に対してなのか他人に対してなのかなどいろいろありますが。

どっちにしろ、それぞれにおいて理由があって、その立場にたつとそれはごもっともだったりするわけで。

思い通りに行かないと、相手のせいにしたり、もしくは自分のせいにしたりしがちですが、結構どっちのせいでもないっていうか、どっちとも悪かったりというか。
なので相手を責めても自分を責めても解決しないことが多々あるわけで。

そういう時は自然相手であれ人相手であれ、対話が一番の解決につながるんだろうなって思うわけです。

対話はそれはそれで結構怖かったりしますが、それは対話が始まるまでで、それを乗り越えれば解決につながる確率のほうが高くなると思います。

恐れていたら何も始まらないんだなって思う今日このごろです。

本日も良い一日でありますように。

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桜の花が咲く頃に

昔バンドをやっている頃にそんな歌詞を書いたことがある気がする。
とてもありきたりな歌詞で、とてもありきたりな歌だったと思う。

そんなありきたりな歌を聞きに来てくれるお客さんがいて、僕はそんなありきたりな歌を一生懸命歌っていた。

いまもありきたりな生活を送っている。
年々ありきたりが複雑なことに気付いてきていて、桜の花一つとってもありきたりではあれ当たり前ではないのではないかとも思う。

今日も生きているなー。

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