月別アーカイブ: 2013年2月

理論と実践の間で僕は笑う。

理論ってやっぱり正しいと思うんです。
実践の中で、「あー、これは知っててよかった」って思うことしばしばなわけで。

実践から突っ走った場合

性格的に理論ってすっ飛ばしてしまうところがあるんです。
良いじゃんやっちゃえよって。
で、ある程度までは行けるんですよね。
でもあと一歩がとっても難しい。

そういう時に理論って知っておくべきなのかな?って思います。

理論先行型の場合

さて、じゃ理論先行型で行った場合はどうか?って言うと。
これは結構難しくて。足りないんですよね理論って。
実践していると、あれ?これ知らねーぞ。、理論にはないぞ!って場面が沢山現れるわけです。

理論に足を引っ張られやすい傾向があります。

じゃ、どっちよって話だけど。

人それぞれですが。
僕はやっぱり「まずやっちゃう」から入って、並行して理論をななめ読みぐらいがちょうど良いのかな?って思います。
重要なのは

  • 理論に引っ張られないこと
  • 理論を絶対視しないこと
  • 自分で気づいた正しいと思うことは正しいってこと

かなと。

実践で大切なこと

やっぱり自分でお金払うなどのリスクを背負ったほうが、身にはなるかな?ってこと。
スピード感の話もあるだろうし。
真剣度が増します。集中力が増します。

間違わないでください

  • 誰も生活かけてパチンコやれって話ではないですよ。
  • 身銭をきると言っても、日々の生活は大事です。
  • やること決めてから実践してください。

今、自分で考えることで一つ一つがモノになっている感があります。
そういう状況でやらせてもらっているって言う感謝も込めて、ちょっと覚書。

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地図と方向感覚の話

先日行われた「いおぎみんなの学校」の説明会で、子供向け(6歳以下)にちょっとしたワークショップをやってみました。

用意するもの

  • 模造紙
  • ペン

まずは最寄りの駅と線路を書きます。この時に方角は書きません。
次にそれぞれの子供に、「自分の家」がどこにあるか指さしてもらいます。

子どもたちは好き好きに指さします。
距離感とかめちゃくちゃです。

次に自分たちが今いる場所を指さしてもらいます。
これもめちゃくちゃです。方向も距離感も。

子どもたちはまだまだ方角とか距離感、比較対象って認識はあまり無いようです。

実際駅まで歩いてみる

じゃ、実際今いるところが駅から見てどこにあるのか?を確認するために、皆で駅まで歩いてみました。

歩数を数える

駅までの道すがら、まっすぐな道は皆で「何歩で歩けるか?」を数えます。
もちろん皆の歩幅は違うんですが、結構一緒に声を出しながら歩くと同じ歩数で到着するもんです。

目印を覚えておく

交差点などについたら、そこに何があるのか?など目印を覚えておきます。

交差点を2回通りすぎて駅まで到着。
歩数もバッチリ。

また同じ道を歩いて帰ります。
さっきチェックした目印以外にも気になったことを感じながら帰ります。

地図にプロット

帰ってきて、またさっきの紙を見せます。
さっきの駅と線路しか書いていない紙が以下に情報不足かが見てすぐに気づきます。

5人いたので、歩数係と目印係にわかれてもらい地図にプロットしていきます。

さっきは全然わからなかった駅からの道と方角などが一気にわかります。

案外方角とか距離感と言うのは、大人でもなかなか把握できない人が多いですが、これってもちろん「感覚」的な部分に左右されますが、数学的なアプローチで覚えることも可能です。

みんなで歩数を数えながら商店街を歩くと、周りの大人が優しい笑顔で話しかけてくれます。

外でやる実験も楽しいなって思いました。

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調査捕鯨くんとシーシェパードくん

昨日の朝ニュースになっていました

調査捕鯨船にまた妨害 シー・シェパード、排水口異物でふさぐ

ですが。

実は僕、よく意味がわからんのです。
なんで調査捕鯨をしているか、なんでシーシェパードは妨害するか。

ってことで僕なりに簡単に調べてみました。

そもそも調査ほげーってなんやと

「google検索結果「調査捕鯨 目的」」
大体の人が調べ物の際、まずはググってみると思うんです。
この検索結果がちょっとなって思うんです。
だって、上位がほとんど「Q&A」なんだもん。
いろんな人が知りたいけど、それに値するサイトが見つからないってことですね。
ちなみに日本の場合、調査捕鯨をしているのは日本鯨類研究所って団体なんだけど、サイト開いた瞬間「あー、探すの面倒くせーなー」って思っちゃうサイトでした。
うむ。調べようとは思ったものの出鼻をくじかれた感満載ですな。

ってことで気を取り直して、似たような検索キーワードで出てきた「捕鯨問題」とか「ノルウェーの捕鯨」等、wikipediaのページを読んでみる。

で僕なりにまとめてみた。

A(日本出身)くんの主張

僕らね、昔からくじらとって食ってたの。美味しいもん。
でね、急にとるなって言われてもね。
まーわかるよわかる。くじら少なくなってきたりとかしたら、種の保存っての考えるととっちゃだめだよね。
でもさ、本当に少ないの?ホント?誰が知ってんの?
ね~教えて教えて!

あとさ、くじらってでっかいからさ、たくさん食べるじゃん。
ってことはさあんまり野放しにしてると、人間が食べる分の食料とかなくなりゃせんかね?環境のためにも捕鯨って必要って思うよ。
そこんとこどう思う?ねー教えて教えて!

え?わかんないの?えー、その回答よくわからん。

よくわからんし調査するわー。

Bくん(アイスランド出身)の主張

俺は捕鯨、賛成よ。調査も一応するけど。

Cくん(ノルウェー出身)

僕らもね、昔からくじら食いおるったい。
やけん、今更やめられんっていうか、寿司とかでも食えるとばい。
ま、でも僕らは日本みたいに「公海」まで行って捕ってるわけじゃないけん、そこんとこよろしく。
ちなみに調査なんてしないよー。

捕鯨国は現在上記の3国らしい。
結局のところwikipediaだけでは、何が目的かがよくわからなかったんですが。
ま建前かどうかは知らないけど、日本の調査捕鯨の目的(動機?)は「食べたい」「自然の保護」って事だろうと勝手に解釈。
アイスランドと日本で目的が一緒かは不明。

じゃ、シーシェパードって何よ?なんで攻撃するの?

シーシェパードくんって単に捕鯨反対の団体ってだけではないみたいです。
ミッションとしては「海洋生物の種の保存のために、生息地の現象や野生海洋生物の殺戮を防ぐこと」だそうです。
こちらはちゃんとホームページがあるんで、時間ある人は見てみてください。
Sea Shephard

で、危険な手段を使ってでも捕鯨を阻止するのが団体としての仕事みたいに捉えられがちですが、他にもいろいろとやっているみたいです。
日本の調査捕鯨だけを攻撃しているわけでも無さそうです。

資金はすべて寄付金でまかなっています。

なんで捕鯨船を攻撃するかについてはネットを見てると「資金集めのため」とか出てきますが、さて、どうでしょう。

結局、なんでそこまで攻撃、妨害するかはよくわかりません。

自然を保護するってなんだ?

結局「人間本位」で考えた「地球のバランス」を保とうと一生懸命やっているんですよね。両方共。
人間本位って書いたけど、本当は自分本位かな。
家族単位ぐらいだったら考えやすいんですよね。でも世界単位となるとちょっと想像がつかない。
大陸内陸部の人にとってはもしかしたら「鯨なんてどうでもええやん」って話かも知れないし。

鯨に関して、僕自身は別に食べなくても良いんですよ。
鯨ベーコンは美味しいけど。でも、鯨ベーコン一生食えないって言われても、しょうがないで済むわけです。
もし鯨をそのままにしておくと食料がなくなるならそれは大問題だから、捕鯨は賛成です。捕鯨しなくても海産物が豊富だったりするならそれはそれで捕鯨禁止でokでしょう。仮に海産物が食べられなくなっても、科学の進歩で栄養は豊富に取れるよって言われたら、まーいーのかな?って一瞬思ったすぐ後に、「いや、なんかそれは嫌だわ。」って思います。
現代の日本人は中国人に負けないぐらいなんでも食べるじゃないですか。(中国人がなんでも食べるかは、本当のところ知らんが。)だから理解されない部分がありますよね。鯨捕まえないと、俺達マグロ食えねえ!って言われても「いや、俺達そんなの食わないし。」って言う人沢山いるだろうし。

結局僕自身は「人間が住み続けられる地球」を望んでいるわけです。そのためにするのが「自然保護」だと思います。

考えて行かないといけないのは以下

・人間が豊かになるってなんだろう?
・将来の子どもたちにとって、こうあって欲しい地球

自然があふれているってどういうことなんだろう?それって良いことなんだろうか?感覚的に良いと思うことだから僕的にはYesで良いだろう。地球は自然豊かであって欲しい。でも自然豊かってなんだろう?自然が豊かなら人間は豊かなんだろうか?豊かを求めて資本主義社会を突っ走っているじゃないか?この甘い蜜を享受しているのは地球上の一部の人間だけじゃないか?いや、本当に甘い蜜なんだろうか?

などなど。まだまだ疑問は尽きません。
書きだしてみると若干ネガティブに見えますが、僕らはココを乗り越えるために生きているって言っても過言ではないでしょう。だから人生楽しんじゃね?ってことです。

高度なシステム社会になって情報も簡単に得られる”風”の社会です。
「自分の意見を持て」って簡単に言うけど、言ってる本人もよくわかっていないのが現状でしょう。
国、人種、地域、学歴、趣味、etc…、いろんなセグメントの違いで考え方が違ってくると思います。
僕達がどういう風に生きて行きたいか?を地球単位で考えていくべき社会ですよね。

捕鯨のニュースひとつで、思いっきり悩んでしまい話もどんどんそれて行きましたが。
どういう風に生きて行きたいか?は、当然ながらまだ結論は出ません。
ひとつわかっているのは、やっぱり笑う事ができる社会にして行きましょうってぐらいかなー。

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とりあえず朝飯食ってみろ。元気出っから。

ホットケーキを作ろうと思って、部屋の食品棚を見渡してもミックスが見つからんけー、作ったったわ。

レシピ

  • 小麦粉
    食べたいだけ

  • あるだけ
  • ベーキングパウダー
    出来上がりを予想して適当に
  • 牛乳
    見当たらなかったらスキムミルクでも 適量
  • 砂糖
    糖尿病を気にして

  • これ重要
  • マーガリン
    20g

工程

  • 混ぜます。
  • 焼きます。
  • なんか好きなもの塗ります。
  • 切ります。
  • 食べます。

結論

朝からの忙しい時間に、朝食を抜いてしまうようなこともあるかと思います。
でもなかなか元気でないですよね。
そういう時は上のレシピのように簡単に作れるホットケーキをオススメします。

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「楽しく疑問を持ち続けられるか?」って大事。

昨日「asobi基地がco-ba KIDS」という催しに参加してきた。

妻の知合いに誘っていただき、楽しい一時を過ごしてきた。

どんな催しか、僕なりの解釈で簡単に説明すると、「働いているお父さんお母さんが子供を連れてきて自由に遊ぶ。」ってだけ。
遊ぶ手段が、お描きだったり、なんか作ったり、勝手に楽器弾いたり。
その場所を子どもと親と、そして他の子どもと親とが自由に入り交じって遊ぶ。
そういう交流の場みたいな感じ。

僕らが到着した時には既にたくさんの子どもたちがいて、我が息子は相変わらず上手く打ち解けず。
自分が持ってきた「仮面ライダーウィザード」を出して欲しいとせがむ。

しょうがない、ってことで父としてできることを考えるわけです。

あるもので作るっていう感覚が磨かれている。

その場にはたくさんの紙とか紐とかがあったので、まずは物色。
紙コップと紙を結った紐があったので、糸電話を簡単に作って息子とに渡してみる。
大喜び、且つ近くの子が注目してくれる。
で、別の子に渡してみる。
彼らはなかなか紐を「ピン!」って張ってくれないから、聞こえるものも聞こえないんだけど(笑)。
それでも楽しんでくれる。息子と他の子がちょっとだけ繋がる。

ああいう場でお父さんがすぐに何か作れるって言うのは結構大事かなって思うんだけど、今回僕がササッと作れたのは最近作ったからって言うのと、いつも「これで何が作れるかな?」って考えているからなんだと思う。もちろんいつもキーホルダーにナイフとハサミを持っているお父さんなんてあまりいないだろうけど。(ミーは危険人物ではないですよ。)

その後、一本紐を追加して三股の糸電話にして子供に渡してみたり。
そんなことで結構みんなが喜んでくれたり。
(本当は3本の糸電話でちゃんと聞こえるか?を自分が確かめたかったからなんだけど。)

ついでに落ちている段ボールで空気砲とかを作ったら、どっかの子が喜んでずっと遊んでくれてたり。
カスタマイズして首からかけてあげられるようにしたら、その子は結局最後までずっと大人にめがけて空気砲を発射してました。いいことだと思います。

不思議に思ってもらえるのが嬉しい

子供が喜んでくれるってやっぱり嬉しいしいんだけど、何より嬉しいのは「不思議に思ってくれる」こと。
糸電話も「あー、なんか聞こえるー!なんでー?!」とか、空気砲も「えー、何入れてるのー?ねーなんでー??」とか。
だからそういう時は半分ウソついたりします。
「おっちゃんがええもん入れといたったで。」
空気砲の中を一生懸命見る子供たち。

多分原理を話してもいいんだろうけど、ぶっちゃけ僕も原理なんてちゃんと話せないし。
僕自身も「でも、これってなんでこうなるの?」みたいなことを考えるチャンスをもらっているってことに気づきます。自分自身も勉強しないといけないって気になる。

人に教えるとか、情報を与えるって言うのの一番いい所はそこではないかな?って思います。

「不思議だなー」に年齢は関係ないよ

昨日の話ではないんですが。
我が家の話です。

僕は通常息子のお風呂当番なんだけど。
お風呂では結構いろいろ遊べます。

例えば使用済みケチャップ容器で水鉄砲をしたり、シャボン玉作ったり、ちょっとマニアックだと表面張力を二人で眺めたり。

今年4歳の息子ですが、十分楽しんでくれます。
水鉄砲などは、父さんが上手にできるのに自分は上手くできないってことに気づいていて、「どうしたら上手に飛ばせるんだろう?」って感じで、ずっとやってます。

ま、結局まず大事なのは、こちらが意図しようがしまいが「これってなんでだろう?」って思うことなのかなと。

そして、それは別に大人子供関係なく、いくつになってもそういう気持ちを持てるか?ってことなのかな?って思います。

僕は毎週そういう「考える」機会を得ているのが幸せです。

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最近のこと、雑感。

Gunosy使ってます。

ご存じの方も多いでしょうがこれね。
最近Rssリーダーを見る機会も少なくなってます。
情報(有益なものとは限らない)はただでさえたくさん入ってきて、頭が混乱してくるので、なるべくよい情報だけを入れるよう努力しています。Googleアラートもちょっと疲れてきました。
一日一回、適当な記事を集めてくれるこのGnosyってサービスは、その点楽です。アプリもあるしね。
使ってて良いのが、結構記事に偏りが無いことかな。いろんな記事を僕の趣味で届けてくれる。
勿論2ちゃんのまとめとか見てたら、これらの記事は全部網羅できるんだろうけど。
ま、最近ではなかなか良いサービスだと思います。

macbook pro買いました。

薄くもなく、軽くもない、普通のを買いました。
前回が3年前購入なんだけど。
強烈な進化をしているわけではないけど、痒いところに手が届いている感はありますね。
iPhoneとの連携もスムーズね。ただ、やり過ぎ感も無きにしもあらず。ちょっとおせっかい感が気になる。
今後アップル製品が「お!」っと思わせる商品を出せるのかな?ってのは気になるところです。
ここにもそろそろ新しい何かが、大きな変化を与えてくれると嬉しいですね。
もちろん、そういうのに自分も加わっていければ楽しいでしょう。

バイク乗りにはちょっとつらい世の中なのかもしれません。

レッドバロンにカタナの車検を頼んだら、そのレッドバロンの人が勝手に乗り回して壊されて、旧車だから修理もできずっていうブログが有ったけど。
車と同様バイク離れは進んでいるんだろうけど。
そもそも好きな人が少なくなったのか?それとも乗れない環境なのか?
維持するのも結構大変な世の中です。
ちょっと困った。

やっぱり時間は守ったほうが良いよ。

待たされること、リスケが多いのが最近の特徴。
待ってもいい、リスケもいい。でも連絡はくれ。

子どもたちに教えることについて。

少しずつですが自分なりのやり方を実践できているのが楽しいです。
ま、そんなこと言っててもすぐに挫折したりするんだろうけど。
子供の笑顔はいいね。

 

 

先週は疲れが溜まっていて、家族でたくさん寝ました。
今週も楽しくいきたいと思います。

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結局自分の生活(考え)を変えるのは怖いよねって話。

飯野賢治さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りします。

僕はゲームもやらないし、Dの食卓は名前を聞いたことがあるくらいで。
飯野さんのこともテレビに出てる人ぐらいしか知らない。

話題になっていたこの「息子へ。」という文章を読んで思ったことを書きます。

子供に対してのスタンスについて

原発に対してのスタンスも然り、子供に対しての接し方はとてもむずかしいと思っています。
うちの子にも「お前、どう思う?」って話をよくします。
よく考えて行動して欲しいから。
で、その時言われるのが「お前って言わないで!」なんですが。。。

僕自信、自分なりに答えを持っているようで実は持っていないことってたくさんあるなと思います。
考えろって言いつつ、じゃああんたどうなのよ?って聞かれたら「僕も考えている(悩んでいる)。」って事が多いなと。
でも親として「わからないから曖昧にする」のは良くないと思っています。
一緒に悩むでも良いし、その時の答えとして伝えるでも良い。
最終判断は息子がするのです。
親の生き様として、伝えることや悩んでいることを話すっていいことだなと思いました。

しっかり伝えて行かないとなと。

原発に対するスタンスについて

正直悩んでいた問題ですが、実はこの文章を読んで少し楽になりました。
僕が「原発反対!」と声をあげても特に困ることはありません。
そんな大きな仕事がしてみたいもんですが。

僕の原発に対するスタンスは以下でした。

  • 基本的には反対
  • だけど今すぐなくすのはどうかな?って思っていた

原発が危険だってのは誰でもがわかったことで、条件は人それぞれあるにせよ「代替エネルギー」が確保されるのであれば原発は要らないって言うのが殆どの人の意見でしょう。
原発に変わる同等の発電効率を有するエネルギーは現状ありません。(使用済み核燃料にかかるコストとかは考えないとして。)
石油エネルギーにこれ以上依存するのは、正直原発に頼るのと一緒だと思っています。
両方を上手に使い分けるのが良いと思っていました。

自分の視野がせまいと感じた事

僕が「基本的に」という曖昧な表現を指定たのには、2つ理由があります。

  1. 今の生活は維持したいという単なる欲
  2. 科学の発展を否定したくないという浅はかな考え

1.に関しては、本当に単なる欲です。そして未だにすべての欲を捨て切っているわけではありません。
僕はエレキギターを弾きますが、本当に電気のことを考えているならそんなん弾いてる場合じゃないって話です。ま、その例は極端な話かも知れませんが、実際日常生活に電気は必要なんです。寒い部屋で過ごすとき最低限の暖房をつけるわけです。ぶっちゃけ言うと「それぐらいは良いだろう?」って思って生きているわけです。
その生活を支えているのが「原発なのかな?」って思っていたわけです。
決して電気を贅沢に使った生活がしたいというわけではなく。

2.に関しては、現在僕が知っている科学技術の中でしか物事を考えていなかったってことです。
もっと言うと「自分の想像力が足りていない。」とか「将来に対しての希望を持てていない」ってことです。
単純に、上に書いたように「やっぱなんのかんの言って原発に変わるものないでしょう?」って思っていたわけです。もしかしたら今まで全く知らないエネルギー源があるかもしれません。あと、どうしてもこういう時に「もっとエネルギー!」って思ってしまいがちですが、エネルギー効率ももっと良くなるはずです。ってことは何も「安全な原発」を目指さなくても良いのでは?って思い始めたんです。
だから、今は原発の稼働は「反対」です。
ただ原発の危険性と原子力の発展は別に考えないといけないと思っています。
原子というものに対して、人間がこれ以上踏み込むべきなのか?など、倫理的な話は今のところわかりません。

結局、今の生活を変えるのが怖いだけなだなと。

僕達は産業革命以降、たったの100年ちょっとだけの期間にずいぶん贅沢をしてきたわけです。
地球が一生懸命蓄えてきたものを「えーいやっほーい!飲めや歌えや!」って感じで散財してきたわけです。それも一部の先進国と言われる国に住んでいる人たちだけが。
金持ちのバカ息子と一緒ですね。

やっぱりその償いは必要なわけで、そろそろ本気で生活を一変させる必要があるのかもしれません。
自分の生活を変えることはとても怖い事です。
明日車がなくなったらどうしよう。パソコンがなくなったら。食料がなくなったら。

でも、将来のこと、僕らが死んだ後のことを考えてみると、やっぱり地球は存続して欲しいと思っています。「子どもたちのため」にって言うのは本当に望むことです。

経済成長が一つの国の発展の基準になっています。アベノミクスでも最重要課題ですよね。
でももっと根底から「ゴロッ!」って変わって良いのかな?って思い始めました。エネルギーコストが上がるっていうのも製造業と深く関係する事なんだろうけど、もうそんなにたくさん物いらんでしょう。

何がどう変わるか?はわかりませんが、実はもっと人間的な(って曖昧ですが)生活、文化が発展していくような気がしてます。科学の発展もそこに向かって進んでいくでしょう。

メディアに提示された物が流行るのではなく、購買することで得られるわけではなく、個人が自分のための価値観を作り出すことで成り立つ社会。そこで生まれたミニマムなコミュニティーが独自性を保ちつつ他と有機的に繋がっていく。きっとエネルギー効率の良い社会が出来上がってくる気がします。

そう考えるととても楽しい社会ができそうです。

って言う、まとまりのないことを考えさせてくれた飯野賢治さんに感謝します。

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ダメな大人が社会を(ちょっと、ほんの少し、少なくとも真面目くさったおっさんよりは)良くする。

最近ダメな大人に囲まれることが多くて、これって幸せなんじゃないか?って思い始めた訳です。
あ、ダメって言っても社会的には(多分)ちゃんと認められてたりするだろうし、きっと僕が「あー馬鹿なことやってるから俺も馬鹿やろう!」って思ってやってたら、実は皆(たぶん)しっかりしてて、僕だけダメだったってオチなんだろうけど。

一生懸命馬鹿なことをやっている先輩が沢山いることで何が幸せって、「あー、俺もこれでいいんだー」って思えることですね。
なにも社会に大してきっちりコミットしなくてもいいんじゃね?みたいな。

きっとちゃんと働いている人も疑問を抱えながら働いているわけですよ。
あー、俺ブラック企業に努めているぜ!みたいな(笑)。
僕は黒白わかんないんで、そこら辺どーでもいいんだけど、友人が「あーめんどうくせー」ってつぶやいていたりするのは悲しいし、ちょっとうざいw。
愚痴をつぶやいていても、それが「物事を良くする」ための愚痴なら聞いている方も嬉しいんだけどね。
馬鹿な大人はそんな感じ。多分社会に対してのモチベーションを上げてくれる存在なんです。
少なくとも僕を笑かしてくれるわけです。

僕もダメでありたいと強く思いつつ、昨日は息子が保育園をサボると言い出したので付き合っていました。
たまには良いよな。そういうのも。それは良くないか。まいいや。

けして社会的にダメになれって話ではないってのはわかった話だろうけど、案外ダメって言われている人が社会に良い影響を与えているんじゃないかな?って思うだけの話です。
よく「社会的になになにを考えて、こういうイベントをする」とか言ってる人いるけど、本気でそう言ってるんだったらそれは「本当にダメ」で良い影響なんてほとんどないんじゃないかな。
「別に社会のことなんて考えていないよ、だって楽しいんだもん。」の方が強いって事が最近肌感覚でわかってきているわけです。
僕ももう少しダメな大人になって、皆に「あんた、なかなか良いね」って言われるようになりたいなと心から思っています。

ってことで4月にちょっとしたイベントを考えているんで、ぜひ皆に参加して欲しい。
西荻の街で行う、ちょっとしたインスタレーション企画です。
大事な友人と一緒に仕掛けてみようかと思います。素敵なNPOの方々と一緒にやろうと思っています。
いろんな人に巻き込まれて欲しいと思っています。
企画の大枠は、ここで少しずつ発表していくんで、いろんな意見をください。
良い意見があったら盗ませてもらいますw。

よろしく!

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カレーに昆布出汁入れると旨いよ。

昆布

昆布

カレーライス

カレーライス



昨夜の夕飯当番だったんですが、最近カレーを作るときに「昆布出汁」を入れることにしています。
知り合いがSNSでそう言ってたからというのもあるけど、作ってみたらとっても美味しくなりました。

作り方は簡単です。

水に入れて昆布だしをとる

前日からお鍋に適当に水入れておいて、適当に昆布ふいてちゃぽんと入れておく。

普通に野菜を炒める

カレーの具をいためたりする。

出汁投入

あとは時間をかけて煮るだけです。
食卓に出す。笑顔。

みんなカレーは好きかい?

カレーってみんなが大好きだと思ってしまいますが、父親はあまり好きではありませんでした。
ご飯とぐちゃっと混ざるから嫌いなんだろうと思います。
僕もその感覚はわかります。
カレーのつぎ方にもこだわりがあるみたいです。
真ん中ご飯をよそってどばっとかける人もいれば、ご飯の中心と皿の中心を焼く3cmずらしていれて、空いたスペースにカレーをいれる人もいる。
ちなみに上記はあくまで丸い皿の場合。
楕円形の皿を使っている場合は、ご飯の中心を楕円の中心から長へん方向に3cmずらした所に入れます。
ま、ここら変は平面における重心の問題とも絡んできて、そこを説明するのは面倒くさいので、いおぎみんなの学校の「おもしろ算数教室」で説明できたらしたいなと思っています。

うざい説明はおいといて、どっちにしろ「ぐちゃ」っと派か、「スプーンの中に小さなカレーライスをつくる」かの二種類に分かれるわけです。

たかがカレーの食べ方一つでも芸術的センスが問われる場合もあるってことです。
カレーが好きか嫌いかはあまり関係ない話でしたが、結論、食べ方、つぎ方次第でだいたいの人が好きってことです。

出汁の効果

出汁入れたからっておいしくなるか?
美味しくなるんです。
その効果は絶大で、毎日ダイエットを話題にしている妻も思わずおかわりしてくれます。
作った人からしてみるとおかわりは最高の褒め言葉なんです。

ま、何が言いたいかというと、多分出汁の成分って科学的にいろいろ証明できるんだろうけど、それの説明はそんなにいらないよね!って話です。

調べたいときは「いおぎみんなの学校」のサイエンス教室で、もしかしたら実験するかもしれません。

今後の課題

カレーを作るとき、特にこだわりもなくカレールーを使います。
で、大体は美味しくできるんですが、毎回ばらつきがあるんです。
今後はばらつきをなくしつつ、安定した美味しさ、クオリティーを保てるよう努力して行く所存でございます。
ちなみにばらつきを数値で表す場合は「標準偏差」を使います。

ま、ここら変の説明は面倒くさいので、いおぎみんなの学校の「おもしろ算数教室」でいつか説明出来ればいいなと思っています。



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一日にちょっとだけ大事な時間をつくる

保育園に行っている息子。
連れて行くのは僕の仕事です。
お迎えは行ける人が担当。

連れて行く時の手段がいくつかあります。
車、バイク、自転車、歩き。

最近は歩いていくことにしています。
乗り物で行ったほうが楽だし、時間も短縮できるんですが、一緒に歩くことで気づくことを大事にしたいなって思うからです。

息子は、その時その時の自分の中の流行の遊びをしながら登園します。
最近ではウルトラマンになりきって登園します。

僕は全部に対して相手をするわけではなくて、ところどころ「え?まじ?」とか「にげろー」とかの相手をします。
ほっとくと彼はいつまでも道草食ってます。

道草を食うことって結構難しい時代なんだろうなって思っていて、お母さんたちは「ほらもー早く(自転車に)乗って。」とか言っています。
気持ちはよくわかります。
ただ、彼らが道草を食う時間ってとっても大事なんだなって気付かされることはよくあります。

親の余裕の有無で彼らの遊びを減らすのはかわいそうだなって思うわけです。
勿論生活のために頑張らないといけないんですが。

一緒に道草食ってみると、実はいろんなアイデアが生まれたり、「あー、あれどーしよーかなー。。。」って課題に対しても対処方が浮かんでくるまではいかないものの、少し楽な気分になったりもします。

僕は最近はこの登園の時間、約20分ぐらいを大事にしています。

この時間をとることで、どういう良いことが現れたか?なんてわかりません。
そんなの神のみぞ知るです。

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