月別アーカイブ: 2012年7月

友人といろいろ話して嬉しかった話

先週の月曜日、なんか知らないけど休みだったから友人宅に息子と一緒に遊びに行ってきた。
友人もご子息と一緒に家でお留守番だったから、男4人、途中近所のお父さんとそのご子息、最大の男6人で過ごしてた。

子どもたちは好きに遊んでたし、途中で寝てしまったり。

実は僕はその友人に話したいことがあった。相談かな。
遊びに行く数日前に、メールした。
僕が今思っていることを二つ相談した。

一つは軽くOKしてくれる内容だとわかっていて、やっぱりその通りの反応をしてくれた。

もう一つの相談は東北のことについての僕の考えを聞いてもらうことだった。
いや、東北のことに絡めた僕の悩みというべきか。

このご時世、インターネットでこの手の情報をやり取りするのは正直とても怖い。
とにかくニュアンスが伝わりにくい世の中である。
原発のことなど絡めてしまうと、Facebook上では「本当に友達たちなのか?」なんて思うことすらある。実際会えば前のようにいろんな意見を言い合える仲間だってのはわかってるんだけどね。

友人は僕の中で最上級に信じられる人間だったので、思い切ってメールしてみた。
すぐに会うってのはわかっていたし、その時にちゃんと話したいと思っていたし。

すぐに返信をくれて彼なりの意見を言ってくれた。
なるほど僕はそこに気づいていなかったってことも教えてくれた。

遊びに行ったのはメールを出してから数日経ったあとだったので、自分の考えも少し変わっていたし、実際話していろいろと感じるものもあった。

最後は僕はなんか納得できる内容で話ができたと思っている。

年齢を重ね、学生時代と今では、当時の友達たちそれぞれを取り巻く状況が違う。
価値観なんて変わっていて当然なんだと思う。
いや、この激動の中変わっていて当たり前だろう。

そして、今でも一緒の価値観もちゃんと残っている。

僕はそのバランスの取り方が下手くそで、自分のなかでもんもんとしてしまうんだけど。

やっぱり信じられる友人はいるもので、何人か頭に浮かぶんだけど。
彼らは、僕にとってのメンターなんだ。

そんな彼らを大事にしたいし、僕も少なからず力になれたら良いなって思った。

そんな先週の連休でした。

■僕が現状正しいと思っていること。
・目でみて見ることがどんな意味があるかは言葉で説明しにくいけど、やっぱり大事だと思う。
・あまり重く考えすぎても疲れるからほどほどに。
・結局経験したことしかわからない。

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父に会いに行った話

去年の2月、震災前に倒れた父。
現在車椅子生活。
介護は母がメイン。兄が補助。
遠くの姉はできる限り。
末っ子の僕は、どちらかと言うと孫(僕の息子)を連れて行くのがメイン。

父の病状は時期のよって変化する。
いわゆる認知症も患っているわけで、暴れる日とかもある。
ただ、孫だけは父と精神年齢が近いから?か、とても可愛がる。
息子(僕ね)のことはわからなくても孫のことはよく覚えているって感じ。ちなみに妻とかは「どこのお嬢さんがきたんやろか???」って顔して見ている。
僕らの役割は「孫の顔を見せに行く。」こと。

とは言いつつも、母も忘れていたが高齢である。最近は腕が上がらないとかなんとか。
流石に孫の顔を見せているだけで、実家のでのんびりしているのも少し忍びなく感じるこの頃。

先週父に会いに行った。最近は少し笑顔などを見せるようになってきたと言うことだったので、息子をみた時の反応を楽しみに夜中に車を走らせた。

翌日デイサービスから帰ってきた父は、母の言うとおりすこし表情が戻ってきていた。息子だけではなく僕にまで反応してくれるくらい回復していた。ちょっと嬉しくなった。

父が倒れてから、母は変わった。いや変わったって言ったら違うかな。覚悟を決めたように見えた。認識する能力や行動する能力が劣っていても、まだまだ元気な父ともう少し頑張るとよく言うようになった。

実は僕は少しリアリティーがなくて、ああ、父さん倒れたね、ああ、母さん大変ね、ああ、兄さんよろしくね、はい、孫連れていくね!って感じだった。もちろん心配とかはしていたんだけど。あまり重くも考えていなかったし、適当な距離感で接していた。

2日間父と接したんだけど、今回散歩に連れて行ったり、トイレの世話をしたり、お風呂にいれたりした。実はデイサービスから帰ってきた父は、すこし機嫌が悪かったらしい。ただ、色々世話をしている間、とても嬉しそうな表情を見せ続けてくれた。

父は、まぁ厳しかった。怖かった。ある一定の年齢までは。
まさか僕が父のいろんな世話をするなんて考えてもいなかったし、倒れてからもあんまり考えていなかった。
でも、僕は父の世話をしたわけだ。そしてそれはとても楽しい仕事だった。
倒れてからずっと、僕のことをあまり認識していなかったのもあるけど、そもそも倒れる前から実際兄弟の中で末っ子の僕は、あまり興味の対象ではなかった。(嫌われてたとかじゃないよ。)僕も好き勝手やってたし。

そんな父が僕がお風呂にいれてあげると、とても嬉しそうな顔をしたわけだ。そんな顔をこの歳になってちゃんと見れたわけだ。

サービス業に従事していた父は、仕事上運動会にきたことなどなかったし、街のソフトボール大会とかその他色々見に来ることなんてなかったし、何かを褒められた記憶もない。あるといえば小学生にもなっていない僕にスキーを教えてくれた、ストックで足をビシビシ叩かれながら泣きながら教えてもらった、そんな父
の姿ぐらいだ。おかげで円形脱毛症になったんだが。

結婚式の時も別にはしゃぐでもなく、「このコンソメスープは美味しい」としか言わなかった父。

今回見せてくれた嬉しそうな顔。僕の認識がすこしかわった。もっと長く生きて欲しいし、できるだけ回復して欲しいし、もっと笑って生きて行って欲しい。

両親のおかげでここまでこれたし、兄弟の助けで家族が成り立っている。こんなに幸せなことってないよねってことを今更強く感じた数日間だった。

父さん、まだまだ楽しく生きてください。

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情報の氾濫がもたらす思考の低下

三木谷さんが「たかが英語」だっけ?そんな本を出しました。
そういう記事がインターネット上に流れているわけです。

で、それを見た人が字面だけですべてを判断するんですよね。
「楽天はだめな会社だ!」とか「素晴らしい会社だ!」とか。

例があんまりよくないかな。
とにかくネット上の情報だけでなく、マスコミ各社が報道する内容も裏にはもっといろんな情報委があるはずだし、あんまり鵜呑みにするのもどうなのかな?って思うわけです。情報リテラシーっていうんですっけ?そんなかっこいい言葉使わなくてもいいから、もうちょっと考えて動いた方が良いんじゃなんだろ?って思うんです。

たぶん情報のスピードが速くて、本当はそういうことをしていた人たちでも、だんだん流されてるのが現状なんですね。
情報の氾濫。

人の脳のキャパってそんなに大きくはないと思うんです。って言うか普通に生活するのには十分な容量なんだろうけど、世間の情報が多すぎるのかな。

そんな時代にちょっと疲れてきたのが私です。

思考を止めたらだめなんで、すこし脳を休めることにします。

自分で考えることが大事。

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なんか、息苦しい世の中ですわ。

あれが違う、これが違う、あれはやったらダメ、これもダメ。ルール、るーる。

最近否定ばかりされます。
流石に凹みます。

なんで凹むかって、否定されている理由がわからないから。
そんなに世の中とずれているつもりはなかったけど、どうやらかなりずれているみたいです。

僕が大切にする事は、きまった方法とか順序じゃない。
みんながそれぞれどう考えて行動するか?子供にそうさせるかだと思ってるんだけど、どうやら僕のやり方はルール違反なんだそうです。空気読めていないんだって。

なんかに属していないといけないみたいです。みんなと同じ行動をしないといけないそうです。

そういうこと言う人に限って挨拶もできないけどね。

でも今更変えられないし、じっくりやってこうと思います。怒られながら(笑)。

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強く生きていきたいものです。

ここ最近悩ましいことが多かった。
自分の不甲斐なさとかに悩んだりの一週間だった。

知り合いが亡くなった。
知り合いって言って良いんだろうか。友達って言いたいくらいだった。
僕から一方的に興味を持ち、ネットを通じて知り合った。
共通の知り合いは沢山いた。

彼女は本を出している。とてもポジティブな本だ。
本当ならその状況は悲しいだろ!って僕が勝手に思えることを、彼女は笑いに変えた。
きっと彼女にとって当たり前の事を綴っただけなんだろう。

そう、当たり前の事をして、当たり前に笑って、当たり前に悔しがって、当たり前にビビって。

いつしか電話とかするようになって、僕はwebの利用方法等を相談に乗った。
Facebookページの運用なども手伝っていた。

一週間ちょっと前にメールが来た。
Facebookページを更新しておいて!って内容だった。
僕は呑気に「了解です!」なんていうメールを送った。
もらったメールには1週間ぐらい入院するって書いていたんだけど、僕は気にもとめなかった。
持病の検査入院とかと勝手に思っていた。

そして彼女は僕の知らないうちに亡くなっていた。

結局僕ができたことって、僕が出来るって思っていたことって、なーんにもできていなくて。
ちょっといい気になって、なんか人助けっぽいことをしていただけなんだって思って。

でも、勝手に自分で思う。

きっと彼女は今でもあの元気な声で「ありがとー」とか言ってくれるんだろうって。

僕が彼女に学んだことはとてつもなく大きい。
きっとやりたくてたまらないことが沢山あったはず。僕も同じようにやりたくてたまらないことが沢山ある。僕にはまだやる時間がある。

だから、せめて僕ができることは、まだまだ強く生きていくこと、やりたいことを、自分が信じることを一生懸命にやること。

家族を愛すること。
友人を愛すること。

そんなに沢山やらなくてもいい。

本当に大事なことを、今からも少しずつぶれながらだと思うけど。

強く生きていきたいものです。

なおさん、俺次に行くけん!

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