月別アーカイブ: 2017年9月

そして短絡的、暴力的になる

思考停止になるとだんだん人の行動が変なものに見えてきて、希望とかがどんどん失われていく。
そしてなんで生きているんだろうとか考え出す。

しかし、ここで間違ってはいけないのは決して「死にたい」と本気で思っているわけではない。
死にたいっていいたい願望があらわれているに過ぎない。

しかし決して普通な状態ではないし気をつけないといけない。

そして生きている意味がわからないと言い出すと「死ぬ」か「殺す」かみたいな二項対立が出来上がったりする。

その後はどちらを選ぶか。わからないけど。

この状況からうまく抜け出せる人もいれば、抜け出せない人もいる。

それは何の差かというと、大体は周りに助けようとする人がいるかどうかだろう。

結局誰かに依存して、生きている。

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なぜここまで思考停止してしまう自分ができあがったかを考える。

これは特に調査した結果や一般論ではなくて、僕自身の話である。ただこのまったくもって個人的な思考プロセスが、他人にも当てはまるではないかと思う。
また思考停止はそれがどの段階で現れるかにもよるが、以前よりもプロセス的にも物理的にも早い段階で思考停止に至るのではないかと思っている。というのも、思考停止が起こりうる状況は別に今の時代だからあるわけではなく、突き詰めて考えると最後はそうなるのではないか?と言う前提が私の中であるからだ。
ただ、そんなに簡単に思考停止に陥る状況があったかというとそうではなくて、やっぱりそこはどうにか頭を働かせて乗り越えて言った気がする。

じゃ、なぜ思考停止に陥るかというと、個人が意見をもち始めたことが理由なんだろうと思う。ポジティブに考えるともちろんいいことだし、良い方向に進むという前提で考えると多分歴史的に見て今がただの過渡期なだけであると思われる。ただ、その過渡期だからこそ人々は解を求めにくくなり、そしてそれが高い壁となり放棄するのであろう。じゃ、その壁って何か?というと、意見の相違であることは言わずもがななんだが、その意見の相違って言うのが混沌としていて、その意見の持ち主が思っている違いが結局のところ自分でも良くわからない違いとなって存在していて、これが話し合いとなると双方実はなにを話し合っているのかわからない、論点がずれると言った状況が生まれる、生まれやすいんだろうと思う。こうなると「考えるのが嫌になる」状況が生まれる。
じゃその相違が以前と何が違うかって言うと、大まかな違いか、僕からしたら「どーでもいい」小さな違いを指しているのかなのかなと思う。もちろん現在の相違が後者。小さい相違なのに壁としてはどんどん高くなる、そしてその壁は強固ではないが、分厚い。まるで砂を高く盛っただけの境界線があるみたいな。
極端な例だが「人を殺していい」「殺してはダメ」を話し合う方が「人を殺していいが尖ったナイフで一刺しに殺すのだけが許される」って意見と「人を殺していいが尖ったナイフで2,3回指して殺すことだけが許される」と言う意見が対立した時、もう多分自分の意見の正当性がなんなのかわからなくて、とにかく自分の意見に固執するだけに終始する状況が生まれるのではないか?いや、もっと言うと途中で「前提として人殺すのだめだろ」って意見に戻らないとおかしいんだけどそこにすらたどり着かない。

さて、なんでこんな状況が生まれてきたんだろうって考えると、それはやっぱり先行きの不安感と、それを助長するまたはそこに対しての解決策を提示してくれる(と勝手に信じている)情報量の多さだと思う。ま、不安が先か情報が先かはよくわからないしちょっと置いとく。そしてその情報を受取るツールが同時に拡散装置となっているから、実はもう自分で考える必要がなくなってきている(と勘違いしている)状況があるわけだ。そうそれがインターネッツ!

先行きの不安感を何で解決するか。それは仲間を作ることと思っているフシがある。いや、仲間大切だけどさ。じゃ、仲間ってどうやったらできるの?手っ取り早いのは自分が上のポジション、それもちょっと上に立つことなんだろうね。マウンティングすれば、そいつはマウンティングしている人を尊敬する。人間いつの時代だって実は人から認められるってのはすごいことで誰でも悩んでいたんだと思う。承認欲求って昔からあった。でも今は安っぽい承認が簡単に得られるから、どんどんそれが助長していくのだろう。簡単な承認が得られるから、自分の意見なんて軽くていい。変なスピード感を求められるから、薄っぺらになる。そのスピード感もあたかもそれが今後の成長に不活化のようにまさに情報によってその考えが助長されていくけど、人間の清涼スピードなんて対して早くはなくてもう気付いたら、受け取る情報を横流しするだけで精一杯になってきている。ベルトコンベアーの端では商品が沢山落ちている状況なんだよね。

さて、話がそれているのかどうかわからないけど。こういう状況なので、意見が噛み合わないっていうか、ちょっと深まった議論をしようとするとそれに対しての「思考的余裕」「時間的余裕」がないから議論にならない。思考を停止する。

あと、偏ったステレオタイプが多いと、その先の相手の答えがわかっていると言う錯覚を自分が勝手にしてしまうために、思考を停止することがある。

一番多いのが、もう前提条件が違いすぎてっていうか相手に前提条件がないんじゃないか?ってところから話が始まって、もう自分のキャパを超えてしまって思考停止。

まー、とにかく。ちょっと人のせいにしている書き方だけど、いや人のせいにしているけど。とにかくもう、相手の立場とかにたって考えるほどの心の余裕がなくなってきていて「もういいや。」で済ましてしまう。

本音を言うと議論を投げ出したり、思考停止に陥ったりするのは良くない事だって自分自身は思っているし、まだ余裕があるうちはなるべく話をしたい・

でもSNS見てると、やっぱり「あーこういう意見を言いっぱなしの人はもう見るのも嫌だし」って思うし、そういう意見が増えていっている気がする。

それは正直悲しいし、やっぱりそこで思考停止なわけである。

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