月別アーカイブ: 2012年3月

美術館に行く理由。

僕は美術館が”そこそこ”好きだ。
自分から行く機会はそんなにない。全くないわけでもない。

妻に誘われていくことが大半だ。

僕は誘われる展示は全部好きだ。
全く知らない展示がほとんどだけど、行くとそれはそれで楽しくなる。

僕はアートと言われてぴんとこない。
でも、目の前にある展示は何かが伝わる。

そんなもんだと思う。

さて、僕が美術館に行く理由はなんだろうって考えてみた。
僕はその場でパワーをもらいに行くんだと思う。展示を見たあとは、なんか自分で作りたくなる。
曲作りしたかったり、文章書きたかったり、仕事頑張りたくなったり。
それは見た内容とは関係ない。

結局僕は、展示を通してその作者のパワーをもらいに行くのである。
家に帰るとどんな展示だったか覚えていないことはよくある。

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傍観者たるな、実践者たれ

日に日に感じていることです。
傍観者って結局お客様でしかないんですよね。
もちろんそう言う人を否定しない。
なんでもかんでも主体性を持てなんて思わないし。

でも自分で好きで参加している場合は、やはり主体的に動かないと面白くない。
そこで何をやれるかを考える。できることを実践してみる。
実践するって言葉には、少なからず「挑戦する」という意味合いが含まれていると思うんですよね。
挑戦しないと成功ってないんですよね。。ま失敗もないんだけど。

失敗もなぜだめなのか?時代的にそんな余裕がないと。
いや違うでしょう。
今のうちに失敗しないといけないんじゃないかな?
もちろん失敗が必須でわけでは無いけど。

僕は自分の人生の中で「挑戦すること」を避けてきたんだけど、その思いからくる怖さって半端ないのね。失敗する怖さ。それに打ち勝たないといけないと思うわけさ。
だから、今挑戦しておかないと将来を考えた時に大変なことになると思うんよね。
あたふたしてしまう。

先代の人たちは戦後を乗り越えた時に、やっぱり挑戦してきたんだろうし。
団塊の世代はしらん。もしかしたルールに乗ってやっていけた世代なのかもしれないけど。

でもやっぱり自分自身で成功したと感じている人たち、僕は影響を受ける人たちは挑戦している。
どんな時代でもやっぱり重要なことなんじゃないかな。

最近は「みんながやりたくない事をやる」と見えてくる事が多いなって思ってる。
だから率先してやるようにしている。

ぜんぜん成功していないけど、僕には「自分がやって失敗した事例」がたまりつつある。
これは財産でしょう。

ま、あとは財産をいかすための努力ができるか?って問題はあるんだけど。
もちろんやるつもり。

僕は現状に満足なんてしていない。

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ポモドーロの奇跡。

僕が住んでいた福岡市中央区平尾。西鉄電車で南に下ると大橋という駅がある。
その近くに素敵なパスタ屋さんがあった。

おばちゃんはなんとなく豪快だ。そして滑舌が悪い。

出てくるパスタは素朴そのもの。
美味しい。

この美味しさはもちろんパスタの味もあるんだろうけど、お店の雰囲気、そしておばちゃんの醸し出す雰囲気も加味されているのは言うまでもない。

そのお店は「ポモドーロ」。

僕が今住んでいる東京都杉並区荻窪。隣駅の西荻窪にちょっと素敵なパスタ屋さんがある。
結婚してからたまに西荻に行ったら訪れる店。

こちらは夫婦でやっている。
奥さんが給仕係。旦那さんがコックさん。
奥さんの醸し出す雰囲気があのパスタ屋さんに通じるところがある。
こちらは豪快ではない。
旦那さんの雰囲気はちょっととぼけた感じ。

こちらのパスタが、またおいしい。素朴。
こちらのお店の美味しさはもちろんパスタもあるんだけど、この夫婦の醸し出す雰囲気も加味されたもの。それは言うまでもない。

そのお店は「ポモドーロ」。

なんと今さら気づいたこの事実。ほんとどうでもいいことだ!
今度行ったときに聞いてみよう。お互いそんな店があるってことを知っているだろうか?
ま、ポモドーロなんて名前のイタリアンのお店は山ほどあるんだろうけど。
僕が知っている二つの「ポモドーロ」は、抜群の個性が僕を引き付けて止まない。

素朴だけど「プロの味」を提供してくれる「ポモドーロ」に、僕ら家族は今後も通うだろう。

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僕にとっての吉本隆明について

吉本隆明が死んだ。
87歳だって。
ま、死んでもおかしくない年齢だし、僕自身がそれで泣くとかはない。

ただ、なんだろう。ちょっと「ぽっかり感」がある。
こんな考えさせられる人の死も僕にとってはあまりない。

所詮ちゃんと読んだのは「共同幻想論」ぐらいだ。
他はちょっとつまみ食い的に読んでみただけで。

彼の著作を読んで「あーなるほど」って思ったことは実はない。
なんとなく「もしかしたらこんな事を言いたいんじゃなかろうか?」って思いながら読んでいた。

でも僕は吉本隆明が、っていうか「共同幻想論」が好きだ。

僕なりの解釈だと、技術者上がりの論理的な部分、それでいて突き詰めると人間の心がもつ「間違うこともあるさ」的な部分のバランスが気持ちよかった。

彼ほど強くないけど、僕もちゃんと考えて生きていきたい。
人間は成長する生き物だ。後ろに戻ってもしょうがないし、戻れやしないんだ。

今の時代、思考が大切だと思う。

吉本隆明を読んだほうが良いよなんて人には進めないけど、僕は今後も少しずつ読んでいこうと思う。

ご冥福をお祈りいたします。

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ソーシャルメディアとブランディングの関係性

ソーシャルメディアを企業利用ってところ、ソーシャルシフトとかいろいろ本が出ている。

グローバル企業とかだと、現地法人とかがそれぞれアカウントを持って運用していたりする。

いわゆるブランディングって、僕のイメージだと「統制された企業イメージを利用者に植え付けること」みたいな感じかな。

ソーシャルメディアって個の考え方が出やすいから、上に書いたブランディングの考え方とは乖離していく部分がある。

そこで重要なのは「ブランディング」の再定義なのかな。

企業として上から統制していたと思われていたちょっと前の時代と、それぞれの社員が考えを持ちそれぞれの行動が一つの大きな結果となるって思われている今の時代では、消費者が受け取るイメージは違ってくるはず。

ここで重要なのは双方「思われている」ってところ。実は今も昔も消費者に提供されているサービスは、結局個々の作り手がいかに利用者にとってよいものを届けるか?っていう心意気の集まりであることに代わりはない。それが企業イメージを高めて行くって意味では一緒。

ただ何が違うって、サービスは出来上がる過程がわかりやすくなったって事。それは何に起因するかって言うと、情報発信が簡単になったから。作り手は企業と関係無く自分で情報を発信し、情報を受け取る。

そうなると、今からのブランディングって、今まで以上に「企業の社員一人一人が作り出すもの」ってことになる。わかりやすく言えば、
今までは代理店がいろいろ取りまとめて考えていたけど、今後は中の人の意見そのものがブランディングを形作るってこと。

ブランディングの考え方を再定義できる企業が伸びて行くんだろうな。

って思う今日この頃です。

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