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DECEMBER’S CHILDREN

「Deccaバージョン選ぶんですね。」
新宿の中古レコード屋でいきなり声をかけてきた少女は今どき珍しくセーラー服を着ていた。
僕は思わず「ふぇっっと」と言葉にならない驚きを少し大きな声で発し、ただでさえ少ない客から白い目で見られた。普通おっさんが女子高生に声をかけてびっくりされるのであって、女子高生がおっさんビビらせてどうするんだよ、それも今や売れないで困っているレコード屋さん、それもdiskunionで。

時間にして数秒だが、深呼吸で気持ちを整え冷静になって彼女を見た。小説の中から出てきたような美少女だったのは言うまでもないが、冷静になった僕には可愛さよりもかっこよさの方に心奪われた。女子高生が発した「Decca」という響きに僕は畏敬の念を抱いた。
「あ、うん。そうDecca版」

一瞬きょとんとした眼をしていた彼女だったが、臆することなく次の一手を出してきた。
「初期はアメリカ版とイギリス版で曲が重なりすぎて困りますよね。」

「君は、えっと。ストーンズが好きなんだね?」という当たり前の質問しかできない僕に
「Yeah!」と答える彼女。

彼女を前に嬉しさのあまり「いやー、困ったもんだ。」とついつい言葉に出してしまった。
「どうしたんですか?」「いやー、君のことだよ。」
「私帰った方がいいですか?」
全く洒落の効いた女子高生だ。

僕らは近くの喫茶店に向かった。女子高生を喫茶店に誘うなんて人生で初めてだった(高校生の時にそんなことできる僕ではなかった)し、それもこの歳でこんなことするなんて思ってもみなかったが、誘われた彼女はノリノリだった。レコード店から喫茶店までの道のり、僕は気が気でなかった。後ろめたさとか嬉しさとか、ちょっとした嫌らしい気持ちとか。トータルで悪い気はしなかった。
彼女は名前は沙羅と言った。「だからレコード好きなんです!」と恥ずかしげもなく言うところに、ギャグは言った人がおやじであればオヤジギャグになるという迷言が頭を過る。
聞けばよくあるパターンで、彼女のお父さんがストーンズが好きだったから小さい頃から普通に家でかかっていたとのことだが、彼女はNAKATA YASUTAKAもBloodthirsty butchersも井上陽水も好きとのことで今はギターを始めたいとの事だった。僕も自分のこれまで聞いてきた音楽遍歴を語ったが、どうやらお父さんの趣味とほとんどかぶるらしく、「Little Featは、私としてはAmaizingが結構好きなんです」なんて言い出す始末。

僕は彼女にやられっぱなしだった。

「そこらへんの楽器屋さんでも行ってみる?」「いいんですか?」「もちろん、今日はもともと完全オフの予定だったし、久しぶりに楽器屋さんでも覗きたい気分だったし。」「是非!」
話は簡単にまとまり、近くの楽器屋さんに入った。物おじしない彼女は、あの独特の「試奏がしにくい」空気の中店員を捕まえて「私、”鳴りの良い”テレキャスターが欲しいんです。」と伝えた。けいおんブームが少し去ったとは言え楽器屋さんにとって高校生とおっさんはドル箱だ。しかし慣れているはずの店員も思わず「(え?)てれきゃすたー。。。が。 あ、はい。」と一瞬戸惑いつつも、迷わずフェンダーコーナーに彼女をエスコートした。

もともとフェンダーコーナーにおけるテレキャスターはメインではない。圧倒的にストラトキャスターの数が多い。並んでいたのはバタースコッチ(’54 リイシュー)ペイズリー(’69 リイシュー)、店舗オリジナルのホワイトに赤いピックガードがついたやつの3種類だった。彼女は迷わず「ペイズリーの音を聞かせてください。」と店員に告げ、チューニングをしている間、僕に「沙羅、弾けないから、よろしくお願いします!」と悪びれもなく伝えた。気持ちの準備はどこかで出来ていた。
「アンプは何にしますか?」「じゃ、フェンダー系のなんかで。適当でいいっすよ。」「じゃ、Twinで良いですね。」「OKです。」とよくあるやりとりをしてセッティングした。

ボリュームとトーンをフルにして、ピックアップセレクターをセンターにあわせCのオープンコードを爪弾く。店内は一瞬フェンダージャパンの音だけが響きわたり、二人+店員は思わず笑顔になった。

梅雨の季節、外にでるのは億劫でどうしても家で過ごすことが多い。たまった原稿を片付けるべく机に向かい、キーボードを叩く。日によってiPhoneの曲をランダムにかけている時もあれば、ちゃんとレコードを一枚一枚取り替えながら聞くときもある。後者の場合大抵いつの間にかレコード針の「ボッ、ボッ、ボッ」という音だけが部屋に響く事が多い。
彼女とは特に連絡先を交換するでもなく、ギターの支払いを終えて別れた。あの日以来僕も少しずつギターを手元に置き、仕事の行き詰まりを感じるかなり前からギターを爪弾く日々だ。集中しているつもりだが道理で仕事が進まない。もう一つ、ストーンズを聞く回数が少し増えた。3月のツアーに行っておけばよかったとも思うが、まぁ僕にとって96年ツアーで十分かなと自分を納得させる。納得させついでにターンテーブルにあの日買った「DECEMBER’S CHILDREN」に針を落とす。
彼女はギターを弾いているだろうか?今年の夏は冷夏らしい。

街の装いは少しずつだが秋に向かっていた。暑さと涼しさがせめぎ合う季節、僕は新宿へ足を向けた。ライダースジャケットだと少し暑く、でも脱いだらTシャツ一枚。全くファッションってのは我慢の上に成り立つもんだと誰に聞かれるでもなく自答しつつ中古レコード屋に向かい、そして相も変わらずレコードを漁る。あの時の喫茶店は数年前にチェーン店のパスタ屋になっていた。

相変わらず楽器屋さんはそこにあるが、品数は減っている。そりゃそうだろうな。
今でも彼女はギターを弾いているだろう。大好きな10月を与えてくれた彼女に感謝しつつ歩き出す僕の視線の先にはギターケースを抱えた女子高生が闊歩していた。

手には黒地に赤のロゴ入りのビニール袋を持って。

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ワールドカップの憂鬱

4年に一回、どうでもよいサッカーファンが増える。

1993年にバブル弾け後の就職難を乗り越えた私は、関西のとある企業に就職した。
女性で研究職。当時当然ながらまだ「リケジョ」なんて言葉はなく企業もよく採ってくれたなと思ったが、それなりに待遇もよく、会社の先輩社員(男性)達もずいぶん優しく接してくれた。もちろん仕事には厳しく、とても充実した毎日を過ごしていた。大学時代に山岳部で鍛えた足腰は研究職にはとても役に立った。剣岳で遭難しかかった事も良い思い出ではないが人生において私自信を形成するにおいて重要な出来事だ。学生時代のサークルも男性が多かった事もあり、研究職という男性が多い職場も私には心地よかった。

この年はJリーグが発足し、もともとサッカー部を持っていた企業もスポンサー企業になったわけだが。私としては正直興味もなく(って言うか知らず)毎日を淡々と過ごしていた。ジーコだかなんだか知らないが、ボールをただ蹴っているだけではないか。蹴鞠と何が違う?とか言う、自分では理屈っぽい(リケジョっぽい)感を出しつつ、同僚に「なんでボールを蹴るんですか?」などと質問すると「そこにボールがあったから」という答えが返ってきて微笑ましく思ったりしたものだ。

そういう私も少しずつサッカーに興味が出てきて、とりこになるまで時間がかからなかった。高校サッカーのスターがチームにいたこともあり、彼の歴史をたどってみては「あー、高校時代は死闘を演じたライバルと同じ大学に進んだのね?」なんて事を調べては嬉しくなったり、遡ってサッカーの歴史を調べたり。マロニーみたいな名言は見つけられなかったけど、ベッケンバウアーとクライフの戦いに哲学を感じたり、その影響でモンティ・パイソンの哲学者サッカーに心ときめくなど、自分の知識の広がりが嬉しかったりしたものだ。

ドーハの悲劇は研究所のテレビで見ていた。正直心の中で「今の日本のレベルでは勝負にならんよ」なんて偉そうに思いつつ、やはり応援する気持ちもあったので、最後のセンタリングを許した三浦カズのディフェンスを思わず責めてしまった。今考えるとあまりサッカーがわかっていなかった。98年ワールドカップの優勝国フランスにおじさんがいると思ったら若かりし頃のジダンだった。世の中広いことを感じた。

研究職ということも有り、というか自分の性格だろう、この頃からはサッカーについて、戦術的なことも追求するようになってきた。カテナチオとはなんぞや?トータルフットボールの肝はなんぞや?など、普通の女子とは当然ながら話は合わないが、そこは研究所。おじさんたちにはウケが良かった。

2002年の日韓開催は当然サッカー場に行った!と言いたいがこの時も研究所のテレビで観戦した。日本を応援するのは当然だが、黄金世代の最後の大会であろうポルトガルを応援していたが、見事にグループリーグ敗退だった。ルイコスタの背中を見るのが痛かった。

2006年ドイツ大会も相変わらずポルトガルを応援した。もちろん研究所で。決勝トーナメント1回戦、デコでファンブロンクホルストが退場後、仲良くスタンドで観戦している映像を見て新たなサッカーの素晴らしさに気付かされた。ちょうどこの頃から海外サッカーを本格的に見だした頃で、「バルセロナの同僚同士で、まー仲良く見てて。素敵!」なんて思ったもんだ。

2010年南アフリカ大会、当然ながらポルトガルを応援。もち研。フィーゴもいない、デコもいないポルトガルを惰性で応援している感がなきにしもあらずだったけど。決勝トーナメント1回戦、スペインの無敵艦隊によって沈没。マゼランの貸してた援助をスペインが返してもらった形で敗退。

そして2014年。また夏がくる。私は今回もポルトガルを応援するだろう。ただ一つ変わったことと言えば、私自身が今無職ってことぐらいだろうか。研究所のテレビが懐かしい。
ワールドカップは4年に一度開催される。それだけ歳を取る。

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爪を噛む

カナルの癖は爪を噛むことだ。
30代後半に差し掛かる彼には既に4歳頃から爪をかんでいた記憶がある。
どうしてもやめられないこの癖だが、今や愛おしいとさえ思っている。そして今日も彼は幾度と無く爪を噛み、そしてルーチンワークをこなす。

ネット通販の倉庫で働き出して3年目。それまでは何となくいろんなバイトをしながら、毎日缶ビール一つ飲むことで気を紛らわしながら過ごしていた。つまらないと思いつつテレビをつける。好きでもなかったプロ野球も今ではセリーグの選手とパ・リーグの有名なピッチャーなら去年の成績が空で言えるぐらいになっていた。大学時代から続けていた映画製作はいつしか仲間が去り、カメラは押入れの奥にしまわれたままになっていた。
繰り返し見ていたベンダースの映画も、ビデオデッキが壊れてからと言うもののDVDを借りに行くこともなく、いつしかストーリーは愚か題名さえ思いつかない日々を送っていた。そのくせ少ない友人との会話の中での口癖は「また映画撮りたいなー。」だった。周りの同級生は既に家庭を持ち大企業でマネージャー職をこなしつつ、自分の好きな趣味の時間を上手に作りやっている。ひがんでいるつもりはないが、結局ひがんでいるんだなと自分を認めつつ、結局何もしない毎日。それもルーチン化していた。

夏はどうせまたやってくる。またビールと野球の季節だ。今年は神宮にでも行ってタイガースを応援してみようかなどと考えつつ梅雨の季節になった。

表参道の喫茶店でキナコは悩んでいた。いや、悩んでいない時なんてないって言えばないし、そんなの悩みではないって言われればその通りだが。適当に手を伸ばした、彼女よりちょっと上の年齢層向け女性誌を眺めながら心は別にあった。今夜の合コンは行くべきか否か。女子の支払いはないって言うし一流企業のイケメン揃いだって言うし。いやそこじゃない。私は女子か?今年で29歳。”それなり”に恋もしてきた。草食系男子が多いなんて感じていない。いやむしろ肉食系ばかりだろう。ただ私に縁が無かっただけだ。草食系男子なんて負け犬女子が勝手に作った言葉だし、これを認めると私も負け犬だ。きっと親が付けてくれたこの素敵なキナコという名前が、少しだけデメリットだっただけだ。名前が最初に話題にはなる。それはメリットだ。いや、笑いだけで終わる。やはりデメリットか。まぁいいや。喫茶店にいるって時点で「私はカフェにはいかないのよ」と言いたいわけではない。こっちのほうが落ち着くだけだ。落ち着きたいんだ。落ち着きたいのに合コン行くか?合コン落ち着かない。でも誘われて断るのもなんだし、無料だし。そんなこんなで昼休みも終わり、支払いに向かう。いつものメンバー、と言っても話したことも無ければ興味もないおじさん達を横目に。はて、どうするかね、今夜。

職場は骨董通りを少し入ったところにある雑居ビルの二階。一応名ばかりではあるがデザイナーだ。デザインの勉強なんてしたことがない。たまたま父のWindows98のパソコンに海賊版のイラレとフォトショップが入っていた。小学生時代から、おもちゃといえばこれ!と言いたいところだが、別に普通にドールハウスなどで遊んだり好きな男の子をいじめたりしていた。暑中見舞いと年賀状の季節だけ、何故かパソコンの前に座って作業をしていた。未だになんであんなソフトが入っていたのかわからないが、まぁ一応の使い方は覚えた。

中学からはソフトボール部でファーストの補欠として3年間過ごし、高校ではマックのバイトとかしながら、ちょっとだけ髪を染めてみたりスカートを短くしてみたりしながら、ぼやっと「あー、この街でてー」と思いながら過ごした。街は関東近郊のベッドタウンで、特に田舎ではなく特に都会でもなかった。東京に出てきて思ったのは「あー、東京も特に都会なのは一部ね?」ってことだったが。とりあえず何とか大学に滑り込み両親の「もう家出て行けば?」という良心から一人暮らしをさせてもらい、”それなり”な恋をしつつ、web業界でバイトをしながら何となく就職したのが前の職場だ。前職が今で言うブラック企業だったので1回の転職を試み、やはりブラック企業に就職。「ブラックか否かは自分の判断ね!」をモットーに、時に睨まれつつも合コンなどで早く帰るなど少しだけ勇気を出しながら生きている。

今回の合コン、しょうがないけどやっぱり行く!と心に決めて、午後からの作業に集中することにした。

「えっと、そこの資料、10部コピーお願いします」
亨は、社内ではお局さんとして女子には煙たがられている涼子先輩にも難なくコピーを頼めるぐらい、誰からも好かれる、非の打ち所がないイケメンだ。「了解よ!りょうくん」本名は「トオル」だが涼子は自分だけの呼び名としてそう呼んでいる。もちろん彼は心のなかで「うっせーババア」とちゃんと思っているが、そんな素振りは露ほども見せずかるく会釈を返した。もちろん目を併せて、ちょっと笑顔で。特に大事でもない会議を、ちょっとだけ気の利いた意見を言い、最後は機嫌よく上司の意見を言わせて「じゃ、よろしく」で終わらせることが彼のデキる男たる所以だ。もちろん実行する際は、真逆のことをやって成果を上げるのが常套手段だ。自席にもどる際に涼子先輩と目が合いそうになるがこの時は見えていて見えないふりをする。この加減の絶妙さが彼の特技である。今夜の合コンは気が進まないが、親友の頼みを断れなかった。なにが一流企業で固めただよ。俺だけじゃないかという気持ちがないわけではなかったが、笑えるシチュエーションになりそうだしまぁ良いか?ぐらいの気持ちでいた。
この歳まで結婚しない亨に対して、両親も少しずつ「孫の顔が見たい」等プレッシャーをかけてくることも会ったが、彼にはその気は全く無かった。貯金もそれなりにあるし、やりたいこともやれる。未だに好きな友人たちと遊ぶ事が一番だったし、そういう友人に恵まれた環境を大事にしている。時計の針が18時を過ぎたころ、今日の合コン場所をチェックして会社を出る。涼子先輩と目があった。
「今日のコピーありがとうございました。助かりました」

西麻布の夜は、とんねるずのヒット曲でイメージする街とは別だ。いや、あのヒット曲から想像できる街なんてあるのか?むしろ知っている人は「あー。」の世界だ。結局なんでも東京中心にメディアの情報は流される。アド街ック天国で「次週は阿佐ヶ谷に伺います」と言われても、知ったこっちゃない。
亨が現地についた頃には男性1人、女子2人が既に席についていた。お店はカジュアルすぎる居酒屋だった。こんな店で合コンするか?と少し思ったが、まぁ良い。あいつがくればそれで良いんだから。なれない街もそれなりに楽しんでみるか。
今日の合コンは3対3だ。男性は皆大学の同級生。女子はソーシャル・ビジネス勉強会という名の慰め会で出会った3人組。もちろん亨に彼女たちを蔑む気持ちは毛頭ない。彼女たちの生き方はそれはそれで素晴らしいと思っている。本心で。もっと言うと「どうでも良い」わけだ。

「あと一人ずつですね」一人の女子が言った。一般的に見てカワイイの部類に入ると思われる彼女は、トレンドを上手に取り入れたコーディネートをしていた。亨は彼女のきている服の素材が気になったのは仕事柄繊維を扱っている彼の職業病だ。幹事である真司が「もう飲み物頼んじゃおうよ。来たら来たでまた乾杯ってことで!」と言うと、全員特に意見もないし従うことにした。3人がビールを、女性一人が烏龍茶を頼み始まった合コンは、さすが合コン好きな真司の上手な進行ですぐさま盛り上がり始めた。

入り口に一組のカップルらしき男女が現れた。二人は店の中をキョロキョロと見渡している。よく見ると二人は別にカップルでもなく、単純に同時に店に入り知合いを探してるだけのようだ。真司が男性に気づき「おーい、カナル。こっちこっち。」と声をかけた。すると女性の方も「あっ!」という顔をして合コンの席に向かってきた。亨も少し嬉しそうに笑っていた。
「なんだよ、二人とも知合いかと思ったよ。まぁとりあえず席ついて。何飲む?ビールで良い?カナルはビールだよな?こいつビールしか飲まないんだよ、ビーラーだよ。ビールとそうめんで身体できてんだよ。」と適当な事を良い、二人の女子がクスっと笑った。亨には真司は気分がどんどん良くなっている事が手に取るようにわかった。
「彼女は名前は?」「吉本です」「硬いなー、下の名前は?」「えっと、キナコです」「いい名前!」と真司は絶好調に近づきつつあった。キナコは名前をスルーされたことに少し戸惑い、少し憤り、少し安心した。
「キナコちゃんは何飲む?」「じゃぁ、八海山で。」もちろんボケているつもりはない。好きなんだもん。真司は嬉しそうに「マジ?じゃ、八海山ね。あるかなー。」と言いながら店員を呼び「ビールと、あと八海山あります?」と言うと「畏まりました。」と慣れた感じでオーダーを入れた。

3対3が揃ったところで、簡単な自己紹介をしつつ、真司は大人を演じ、女子2人は最高齢のキナコにちょっと遠慮しつつも女子力を少しずつアピールしていた。もう一人は女子力を出そうとすればするほど逆効果ということを少し理解しているようで、その点にも気を使っていた。なかなか世間を知っているな?と亨は思った。

亨の横にカナル、カナルの目の前にキナコ。この三人と他の三人の二組が自然と出来上がった。今回カナルは人数合わせとして呼ばれたわけだが、彼を呼んだのは亨だ。彼ら三人は学生時代にスーパーフリーズというサークルのメンバーで、活動内容は何もなかった。カナルは映画を撮り、真司は合コンに明け暮れ、亨は2丁目に通っていた。

亨、カナル、キナコの三人は、亨がなんとか話題を見つけキナコが話題を拾いトスを上げ、カナルがどうにかボールに手を当て、そしてそれを亨が拾いという摩訶不思議なラリーを繰り返した。それはそれで、それなりに盛り上がった。もともと合コンに期待していない3人組ということもあり、自然と肩の力の抜けた話になった。

カナルに少し酔が回ってきたころに、ふと映画についての愛を語りだした。ほんの少しだけだったが、あまりにも二人が温かく話を聞いてくれるので、ついつい話を続けてしまった。キナコはそんな話を聞きながら羨ましい気持ちをもち、そして少しだけ彼に好意を寄せた。何回も聞いた話ではあるが亨はもちろん彼の話を喜んで聞いた。
いつしか、キナコも自分の事を自然な感じで話し始めた。デザインが少し好きになってきているけど自信がないこと。実家のこと。ちょっとした不安と最近の楽しみなど。亨は相変わらず上手に聞き役に徹し、少しだけ人としての彼女に好意を寄せた。カナルも自然な振る舞いや、ちょっとこじらせ病的なところに好意を寄せつつあった。

真司はたまに「何しんみり話してんの?」と突っ込みつつも、さすがは大人の対応を見せて、深入りはしなかった。あちらの三人は二次会に行くようだ。

亨の「せっかくだからこっちは3人で静かに話せるところにいかないかい?」と言う提案に二人は断る理由はなかった。支払いは当然の用に真司と亨が少し多めに出し、カナルは手持ちで出せる分を出し、二組にわかれた。

三人共世田谷区に住んでいるということがわかり、亨行きつけの経堂のバーに向かった。店に入り亨が顔見知りのマスターに3人分を注文した。3人はゆっくりした時間を共有し、お互いへの信頼を感じながら続きの話をした。

男二人と女一人がお互いに好意を持ち、少しずつ心を奪われていく。カナルは「こういうのって映画にできないかな?」と自分をごまかすように二人に話した。二人は黙って微笑み、キナコは「私、できることなら手伝いますよ」と答えた。言葉尻とは裏腹に当然手伝いますよという気持ちが二人に伝わった。「もちろん俺も手伝うよ」亨も自分の気持ちを伝えるかのようにカナルに言った。酔っ払っているカナルは二人の気持ちを受け止めつつ、「まだまだやりたいことあるなー」と呟いた。
気づくと時計の針は丑三つ時を過ぎ、店には他に1組の熟年不倫カップルだけになっていた。

「そろそろ帰ろうか?」と亨が言い、二人は同意した。

三人それぞれ、特定の人に対する気持ちを伝えぬまま家路についた。

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