ワールドカップの憂鬱

4年に一回、どうでもよいサッカーファンが増える。

1993年にバブル弾け後の就職難を乗り越えた私は、関西のとある企業に就職した。
女性で研究職。当時当然ながらまだ「リケジョ」なんて言葉はなく企業もよく採ってくれたなと思ったが、それなりに待遇もよく、会社の先輩社員(男性)達もずいぶん優しく接してくれた。もちろん仕事には厳しく、とても充実した毎日を過ごしていた。大学時代に山岳部で鍛えた足腰は研究職にはとても役に立った。剣岳で遭難しかかった事も良い思い出ではないが人生において私自信を形成するにおいて重要な出来事だ。学生時代のサークルも男性が多かった事もあり、研究職という男性が多い職場も私には心地よかった。

この年はJリーグが発足し、もともとサッカー部を持っていた企業もスポンサー企業になったわけだが。私としては正直興味もなく(って言うか知らず)毎日を淡々と過ごしていた。ジーコだかなんだか知らないが、ボールをただ蹴っているだけではないか。蹴鞠と何が違う?とか言う、自分では理屈っぽい(リケジョっぽい)感を出しつつ、同僚に「なんでボールを蹴るんですか?」などと質問すると「そこにボールがあったから」という答えが返ってきて微笑ましく思ったりしたものだ。

そういう私も少しずつサッカーに興味が出てきて、とりこになるまで時間がかからなかった。高校サッカーのスターがチームにいたこともあり、彼の歴史をたどってみては「あー、高校時代は死闘を演じたライバルと同じ大学に進んだのね?」なんて事を調べては嬉しくなったり、遡ってサッカーの歴史を調べたり。マロニーみたいな名言は見つけられなかったけど、ベッケンバウアーとクライフの戦いに哲学を感じたり、その影響でモンティ・パイソンの哲学者サッカーに心ときめくなど、自分の知識の広がりが嬉しかったりしたものだ。

ドーハの悲劇は研究所のテレビで見ていた。正直心の中で「今の日本のレベルでは勝負にならんよ」なんて偉そうに思いつつ、やはり応援する気持ちもあったので、最後のセンタリングを許した三浦カズのディフェンスを思わず責めてしまった。今考えるとあまりサッカーがわかっていなかった。98年ワールドカップの優勝国フランスにおじさんがいると思ったら若かりし頃のジダンだった。世の中広いことを感じた。

研究職ということも有り、というか自分の性格だろう、この頃からはサッカーについて、戦術的なことも追求するようになってきた。カテナチオとはなんぞや?トータルフットボールの肝はなんぞや?など、普通の女子とは当然ながら話は合わないが、そこは研究所。おじさんたちにはウケが良かった。

2002年の日韓開催は当然サッカー場に行った!と言いたいがこの時も研究所のテレビで観戦した。日本を応援するのは当然だが、黄金世代の最後の大会であろうポルトガルを応援していたが、見事にグループリーグ敗退だった。ルイコスタの背中を見るのが痛かった。

2006年ドイツ大会も相変わらずポルトガルを応援した。もちろん研究所で。決勝トーナメント1回戦、デコでファンブロンクホルストが退場後、仲良くスタンドで観戦している映像を見て新たなサッカーの素晴らしさに気付かされた。ちょうどこの頃から海外サッカーを本格的に見だした頃で、「バルセロナの同僚同士で、まー仲良く見てて。素敵!」なんて思ったもんだ。

2010年南アフリカ大会、当然ながらポルトガルを応援。もち研。フィーゴもいない、デコもいないポルトガルを惰性で応援している感がなきにしもあらずだったけど。決勝トーナメント1回戦、スペインの無敵艦隊によって沈没。マゼランの貸してた援助をスペインが返してもらった形で敗退。

そして2014年。また夏がくる。私は今回もポルトガルを応援するだろう。ただ一つ変わったことと言えば、私自身が今無職ってことぐらいだろうか。研究所のテレビが懐かしい。
ワールドカップは4年に一度開催される。それだけ歳を取る。

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