頭のなかでうだうだ考えていたんですが、書を捨てよ町へ出ようを実践する事にしました。
所詮は頭のなかだけで考えられることなんてちっぽけだよ
ここで言いたいのは考えるなって話ではない。
「考えるだけ」じゃだめってことね。
PDCAサイクルとか、仕事上ではいろいろ横文字並べたがるけど。
すごく簡単で、頭だけで考えていることを続ければ自分のことしか考えなくなるってこと。
体使って考えるとその感触から新しいアイデアも生まれる。
だから、悶々としたら散歩でもしてみれば良い。
環境を変えるだけでも良い。
何かを変えてみるってところから始めてみる。これに尽きる。
ただし、「(ちょっとだけでも、ほんのすこしだけでもいいから)前向きなこと。」であるのが望ましいだろう。
「ああ、面倒くさい」に勝ちたいんだ。
今更気づいたんだけど、僕はとっても面倒くさがり屋なんだ。
って書いて思ったけど、面倒くさがり屋ではないな。とても怖がりなんだ。
そして恥ずかしがり屋なんだって事に気づいたんだ。
実は人前で話すのとか、全然苦にならないって思っていたんだけど。
これちょっと違うなって思い始めたんだ。
どういうことかって言うと。
今まで人前で話すって言ったって、実は「誰に」話すかを決めないで話していたんだ。
人に話が届こうがどうでもよいって考えていたんだ。
だから別に何言ったっていいわけで。
でも、人前で話す機会って与えられた人しかないわけだし。
それはどうして与えられたかって考えると、実はとても重要な機会なわけで。
ってことは何かしら人に伝わるように努力しないといけないってことなんだ。
で、伝えたい気持ちが出てきた時に、本当の怖さとか恥ずかしさが出てくる。
そう、それには訓練がいるんだ。
って考えると、じゃあ自分が何もしてこなかったか?って言うと、あーやってたわ。
僕はステージに立って歌う練習はたくさんやった。
そう、恥ずかしさとか怖さを克服するために。
何事においても、やはり真正面から向き合うと、やらなければいけないことは自ずと見えてくる。
やんないといけないんだったら、楽しんでやってみたら良い。
人は環境に育てられる
上で書いた2つのことのまとめみたいな話なんだけど。
悩んでいる時ってだいたい自意識過剰で。
自意識過剰を開放することが重要。
そういう時は「いろいろ考えられないぐらい頑張らないといけないところに身をおく」とか、「いろいろ考えなくても頑張れることをやる」ことが良いと思うわけ。
で、その2つは対極にあるように見えるけど、結果実は大して変わらないんじゃないかな?って思うんです
って言うか、それに望むときの態度、気持ちの持って生き方のほうが大事ってことなんだけど。
前者はかなり後ろ向きな場合もあるよね。後者はかなり前向きに見える。
でもさ、結局どっちも楽しい事もあればきついこともあるんだよね。
最初がきついと楽しくなってきたらどんどん楽しくなるだろうし。最初前向きだと、壁が来た時キツイだろうし。
その繰り返しがどんどん大きいスパイラルみたいになって人は成長していくんだろうなって思うわけです。
って事で、変化を楽しもうと思う次第です。