さて、年末だ。

何か書いておこう。

年末29日から年末31日にかけて実家に帰ってきた。福岡から姉家族が30日にやってきて昼食を共にした。

甥っ子姪っ子はそれぞれ進学し、新しい環境で楽しくやっているのかどうかは表情からよくわかる。素直に育っているなーと、母と話す。お兄さんは相変わらず。姉も変わらず。

年末年始だから実家に帰ると言うのはあまり馴染みがないが、それは家族があってこその行動なのかも知れない。たまたま東京に暮らし、実家もそんなに遠くないから行くは行くが。実家が南北の端だったり、新幹線を使わないといけないようなところなら、僕自身は独り身でわざわざ帰る気は起こらないだろう。

今回の帰省の目的は、年末に自分で食べる気もなく作った干し柿を姪っ子が食べたいと言ってくれたので持って行った。

喜んでもらえて嬉しかった。

母及び姉家族と会い、生命エネルギーはここにも保存されているなと思った。僕も姉も母も確実に歳を取っている。子どもたちはどこかエネルギーの使い方を模索し、大人はエネルギーをいかに効率的に使うかを楽しんでいる。
僕自身は自分のエネルギーが減っていると実感する。物事に対する執着心、好奇心の絶対量が減っている。

若さとはエネルギーを持つからアクセルをたくさんふかさなくてもそれなりに進んでくれる事だと思う。もちろんリミッターを振り切った若者は沢山いるだろうし、そこに成長がある。しかし大人になるとアクセル全開とは行かないが、ある程度ふかしていないとエンジンは回ってくれなくなる。僕は今年アクセルを踏んだのか。ブレーキを沢山踏んでいた気がする。来年は今年よりもエンジンを回したい。まだまだ成長したい。

怒涛の一年だった。周りの人に沢山迷惑をかけた。心配してくれる友達が沢山いた。結果的に良い一年だったんだと思うようにしているところが人間の強さなのかなと思う。

年末にかけて自分を省みる機会が増え恥ずべき行為が多かった事を思い反省しつつ目につくのは、強さを持てなくて自ら命を落としたり、犯罪に走ると言ったニュースだ。人のせいにする事に慣れてしまった僕らは自分の罪を受け入れられなくなって奇行に走ると言ったところか。

目にするのは偏った意見ばかりだ。思慮深い人の意見ほど埋もれやすいという側面もあわせてネットの功罪かなとは思う。サイレントマジョリティーが欲している情報をもつであろう専門家は発言しにくくなる社会かもしれない。
対案もなく否定をするなとも思うが、対案があっても断絶してはいけないと言うのが今年一番学んだ事だろうと思う。各々が自分なりの意見を持っている。意見の深さに差があるとしよう。何をもって測っているか?に関してはきっとお互いにはわからない。そもそも相容れない方向から見ているのだから。

簡単に相手の立場に立って考えてみろなんて言えない。そしてこれも難しい事の一つだけど、やはり無視すると言うのが選択肢として一番な時がある。その権利を上手く使うのも生き残るための一つの手段なんだろうと思える気がしてきた。

その結果、自分自身が無視される事もある。もちろん良い気はしない。でもトレードオフだ。

「しょうがない。」

この一見ネガティヴなキーワードをポジティブに使える人間になる事が、一つの成長なんだと思う。そういう年齢になったって事かな。

しかしまぁ。できるならネガティブな発言よりはポジティブに。

来年はそんな一年にしたいものだ。

皆様良いお年を。

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