結局自分の生活(考え)を変えるのは怖いよねって話。

飯野賢治さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りします。

僕はゲームもやらないし、Dの食卓は名前を聞いたことがあるくらいで。
飯野さんのこともテレビに出てる人ぐらいしか知らない。

話題になっていたこの「息子へ。」という文章を読んで思ったことを書きます。

子供に対してのスタンスについて

原発に対してのスタンスも然り、子供に対しての接し方はとてもむずかしいと思っています。
うちの子にも「お前、どう思う?」って話をよくします。
よく考えて行動して欲しいから。
で、その時言われるのが「お前って言わないで!」なんですが。。。

僕自信、自分なりに答えを持っているようで実は持っていないことってたくさんあるなと思います。
考えろって言いつつ、じゃああんたどうなのよ?って聞かれたら「僕も考えている(悩んでいる)。」って事が多いなと。
でも親として「わからないから曖昧にする」のは良くないと思っています。
一緒に悩むでも良いし、その時の答えとして伝えるでも良い。
最終判断は息子がするのです。
親の生き様として、伝えることや悩んでいることを話すっていいことだなと思いました。

しっかり伝えて行かないとなと。

原発に対するスタンスについて

正直悩んでいた問題ですが、実はこの文章を読んで少し楽になりました。
僕が「原発反対!」と声をあげても特に困ることはありません。
そんな大きな仕事がしてみたいもんですが。

僕の原発に対するスタンスは以下でした。

  • 基本的には反対
  • だけど今すぐなくすのはどうかな?って思っていた

原発が危険だってのは誰でもがわかったことで、条件は人それぞれあるにせよ「代替エネルギー」が確保されるのであれば原発は要らないって言うのが殆どの人の意見でしょう。
原発に変わる同等の発電効率を有するエネルギーは現状ありません。(使用済み核燃料にかかるコストとかは考えないとして。)
石油エネルギーにこれ以上依存するのは、正直原発に頼るのと一緒だと思っています。
両方を上手に使い分けるのが良いと思っていました。

自分の視野がせまいと感じた事

僕が「基本的に」という曖昧な表現を指定たのには、2つ理由があります。

  1. 今の生活は維持したいという単なる欲
  2. 科学の発展を否定したくないという浅はかな考え

1.に関しては、本当に単なる欲です。そして未だにすべての欲を捨て切っているわけではありません。
僕はエレキギターを弾きますが、本当に電気のことを考えているならそんなん弾いてる場合じゃないって話です。ま、その例は極端な話かも知れませんが、実際日常生活に電気は必要なんです。寒い部屋で過ごすとき最低限の暖房をつけるわけです。ぶっちゃけ言うと「それぐらいは良いだろう?」って思って生きているわけです。
その生活を支えているのが「原発なのかな?」って思っていたわけです。
決して電気を贅沢に使った生活がしたいというわけではなく。

2.に関しては、現在僕が知っている科学技術の中でしか物事を考えていなかったってことです。
もっと言うと「自分の想像力が足りていない。」とか「将来に対しての希望を持てていない」ってことです。
単純に、上に書いたように「やっぱなんのかんの言って原発に変わるものないでしょう?」って思っていたわけです。もしかしたら今まで全く知らないエネルギー源があるかもしれません。あと、どうしてもこういう時に「もっとエネルギー!」って思ってしまいがちですが、エネルギー効率ももっと良くなるはずです。ってことは何も「安全な原発」を目指さなくても良いのでは?って思い始めたんです。
だから、今は原発の稼働は「反対」です。
ただ原発の危険性と原子力の発展は別に考えないといけないと思っています。
原子というものに対して、人間がこれ以上踏み込むべきなのか?など、倫理的な話は今のところわかりません。

結局、今の生活を変えるのが怖いだけなだなと。

僕達は産業革命以降、たったの100年ちょっとだけの期間にずいぶん贅沢をしてきたわけです。
地球が一生懸命蓄えてきたものを「えーいやっほーい!飲めや歌えや!」って感じで散財してきたわけです。それも一部の先進国と言われる国に住んでいる人たちだけが。
金持ちのバカ息子と一緒ですね。

やっぱりその償いは必要なわけで、そろそろ本気で生活を一変させる必要があるのかもしれません。
自分の生活を変えることはとても怖い事です。
明日車がなくなったらどうしよう。パソコンがなくなったら。食料がなくなったら。

でも、将来のこと、僕らが死んだ後のことを考えてみると、やっぱり地球は存続して欲しいと思っています。「子どもたちのため」にって言うのは本当に望むことです。

経済成長が一つの国の発展の基準になっています。アベノミクスでも最重要課題ですよね。
でももっと根底から「ゴロッ!」って変わって良いのかな?って思い始めました。エネルギーコストが上がるっていうのも製造業と深く関係する事なんだろうけど、もうそんなにたくさん物いらんでしょう。

何がどう変わるか?はわかりませんが、実はもっと人間的な(って曖昧ですが)生活、文化が発展していくような気がしてます。科学の発展もそこに向かって進んでいくでしょう。

メディアに提示された物が流行るのではなく、購買することで得られるわけではなく、個人が自分のための価値観を作り出すことで成り立つ社会。そこで生まれたミニマムなコミュニティーが独自性を保ちつつ他と有機的に繋がっていく。きっとエネルギー効率の良い社会が出来上がってくる気がします。

そう考えるととても楽しい社会ができそうです。

って言う、まとまりのないことを考えさせてくれた飯野賢治さんに感謝します。

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