とっても無駄なエントリーなんで。適当に読むなり飛ばすなりしてください。
古市憲寿って言う社会学者がなんか炎上してるそうだ。
ここね。
で、彼はこんなツイートをしたんだよね。
属人性から解放されたはずの近代社会で、見た目に関しては生まれたままの姿を変えるべきでないという規範がなぜ強いのかは昔から疑問に思ってること。韓国など一部の地域を除き、なぜ整形が一般的にならないのか。
— 古市憲寿 (@poe1985) 2014, 10月 13
もちろん一連のツイートがあるから、これだけでいろいろ判断するのは馬鹿だよね。気になったらeちゃんと読んでね。
さて、それに対して上のリンクの記事では
そして(古市氏は)整形がもっと社会的に認められるべきだと主張した。
って まとめてるんだけどさ。
なんか別に僕はネトウヨでもないし、整形なんてどうでもいいんだけどさ。
「一般的になる=社会的に認められる」ってのがピンと来ないんだよね。
なんでだろって考えてたんだけどさ。
例文を一生懸命作ってみた
スマホの利用が一般的になる。
スマホの利用が社会に認められる。
なんか気持ち悪いんだよね。
別に社会に認められないと使わないもんだろうか。
アフロヘアーが一般的になる。
アフロヘアーが社会に認められる。
一般的にならなくても社会には認められるんじゃないかな?
そーでもないか。
俺は何が言いたいんだ。
なんでわざわざこんなツイートが話題になるかがよくわからんし、別に整形だろうがパーマネントだろうが刺青だろうがやりたきゃやればいいんじゃね?って思うんですけどって部分に引っかかってんだろうね。
仮に友人が整形したら、喜んでいるのであればそれでいいし、後で後悔したらそれまでだろうよ。僕はやらないけどね。
美容整形とか美白とかなんとか。インプラントとかもそうだけど。人はそこまで美しく見せないといけないのかな?って思う反面、まー僕はリーゼント命かけているわけだけど、それを別に誰がやったってどうこう言うもんじゃないって思うんだけどね。
大体社会に認められるってなんだよ。。。
って思って生きているよ、僕は。