教育における詰め込みについて

最近文系がなくなるとか、偏差値教育がどうたらとか、まぁ昔からあった話ではあるがその手の話が活発化している気がする。ネットでよく見るのは「偏差値教育なくせ」的なところが大半だと思われる。
文系理系に関して言えば、よりビジネス最前線(と思われるところ)にいる人は、一部の大学を除いて所謂「専門学校化」の方が実益に即していると考えている意見が多く見られるような気がする。
その反面、案外所謂理系の研究者のほうが「文系的学問」の重要性を説いている気がする。
ま、どっちにしろ偏差値教育≒詰め込み教育に対する反発は多い気がする。

さて。

お前が言うな的なことを言わせてもらえば。
若い時期に「必死にものを覚える」という作業は、僕は絶対的に必要だと思っている。

僕は後悔している

いきり立って書いている割には、まずは自分の反省から書かせてもらう。
僕は第二回センター試験のときに高校3年生だった。ベビーブーマーで小中高と全部他の学年より1クラス多いと言う状況だった。大学に行くのは今よりは倍率は高かったかもしれないけど、多分今ほど競争は激化していなかったと思われる。

学校はのどかだった。真面目に勉強している奴らもいれば、とことん勉強しない奴もいて、それはそれでちゃんとバランスが取れていたと思う。もちろん僕は後者に属していた。
当然のように現役で受かるところとかなかったし、予備校勝負はほぼ決まっていた。
さて、じゃあ予備校行ったからといってそんなに勉強するかって言うと、浪人を経験した方はわかるだろうが、予備校っていうのはとことん誘惑の多いところで、結局勉強を始めるのは10月とか11月とか。結局現役生に対して大したアドバンテージを設けることもできず、ヤマ勘とかそういったもので乗り切るわけだ。

ま、ぶっちゃけ浪人しようがしまいがそんなことどうでも良いと思っている。もっと言えば大学がどこかなんてもっとどうでもいい。

僕が後悔していることは「必死に覚える」という作業を怠ってきたことだ。

やって来なかったことだから、ここからは仮説でしかないが、実はこの時期に「一生懸命覚える」という作業はとても重要だと思っている。

詰め込みの重要性

  1. トレーニングになる
    僕はこの高校受験から大学受験ぐらいまでの時期に「必死に覚える」という作業をやっておくことが、将来的に脳の忍耐力を鍛えると思っている。もちろん大人になってから覚えられないというわけではないけど効率が劣るのは確かだ。(僕は中学受験をしていないからそこはわかりません。)
  2. 貯金になる
    この時期に鍛えた力を大人になった時に貯金として持っているのと持っていないのでは差がでる。これはフィジカル的にも言えた事だろう。特に基礎力については覚えておかないといけないことが多いし、そして覚えておくことで使える能力が増える。数学の基礎的な言葉の意味であるとか、英単語などはこの時期に必死に覚えた方が絶対に良い。

そしてこれらは決して大学受験のために必要なわけではない。

論理的思考とか言うけれど

論理的思考力が云々と言うけれど、それはやはり基礎ができていての話であって、上っ面の記憶では化けの皮がすぐに剥がれる。(僕自身がまさにそうだ。)計算が解けてもその結果、証明を人に説明することが目的であるわけで、そのためには共通言語が必要だしとにかく基礎をしっかり勉強すると言う部分に関して言えばかなり記憶力、詰め込みに頼らざる負えないと思っている。
脳内の記憶は外部に保存できる時代が来るかもしれないし、シンギュラリティ問題もある。だからと言って、いやだからこそ人間はもっと知を扱うための知を身につけるべきだろう。

今の教育が良い悪いは僕にはわからない。また、詰め込む方法ももう少し良い方法があるだろう。(もしかしたら詰め込みという言葉が正しくないかもしれないですね。)
だけど、とにかく言えることは「必死に覚えるべきこと」があるし、それがないと今後困ることになるのは自明だ。
それがないと真実に辿りつけないし、その範囲はどんどん広がっている。

コモディティ化の中で

単純に偏差値という秤のなかにおいては、世界的に見て差は縮まっていくのは確実だ。範囲が広がっているということはそれだけ覚えないといけない。もちろん全部を覚えるのか、一部をとことん覚えるのかなど選択肢は多様だろう。
僕らが今後どうやって生きていくかと言うところにつながっていく話だけど。僕はやっぱり勉強を続けていける社会になってほしいと思う。ただ学んでいける社会ができても学びたいと思う人がいないと意味もないし、また逆も然りだ。それを続けていくためには体に染み付いた学びの姿勢が必要だし、それは何に起因するかというとやはり20代ぐらいまでの詰め込みは大きいはずだ。

ここまで書いたことは僕個人のことであって、もし自分も似ているって人がいたら今からでも遅くない。必死に覚えるとかそういったことに費やす時間を少しずつ作ってみるべきだろう。この歳で思うことだが、学びは楽しい。

最後に。

叔父がガンでやつれている時に僕にかけてくれた言葉を最後に。叔父は定年後最後まで大学に通っていた。

「おい、たく。勉強っていうのはいつまでもできるものだ。」
僕はその言葉を大事にする。

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