進化について

ここ数年ずっと考えていることがあります。
とても重要だと思っている事。

「発信」「共有」「思考」

上記の三つが僕にとってキーワードです。

インターネットを使う毎日ですが、とても大事なものを捨てながら生きているんじゃないかな?って思っています。

人が進化するにおいて重要なこと。それは「思考すること」。
発信と共有はインターネットを使う事でいくらでもできますが、思考する事はできないと思っています。

思考するには時間が必要です。
もちろん情報収集も必要で、そういう時にはインターネットを使います。ただ、ソーシャルメディアのせいで(あえて「せいで」)少しの余った時間をインターネットに取られているのが現状です。

思考するには身体を動かす事、感じることが含まれます。矛盾するかもしれませんがブルースリーの言った「考えるな、感じろ」って事です。

考える事と感じることがある一点で交わるんです。
交わるまでは考えたり感じたりを繰り返す。
僕の中で「思考する」っていうのはそういう事です。
って気がついた、いや、気がついた気がした新年です。

30代前半のある一年間、思いっきり本を読んだ事があります。
とにかく週に何回かはブックオフに行って、100円の小説を片っ端から買う。とにかく読む。
今考えるととても重要なこと時期だったと思います。
情報収集していたのですが、ブックオフに通うという行動がよかったと思っています。

一昨年なくなった叔父さんが死ぬ一年前ぐらいに言っていました。
「身体は老いるけど、頭がある。」
退職したあとも、大学に行って学んでいました。

インターネットを外部脳として使う事は一つの進化です。
ただ、最終的に最適解を導くのは自分でありたい。
そのために日々学んで、思考を繰り返す。そういう事に時間を費やしたいと思っています。

さて、コミュニケーションを生業にしているわけですが、インターネットの利用方法もそろそろ次のフェーズがくる気がしています。

ざくっと言うなら「情報提供ツール」以上の機能をそろそろ有した形にしていかないといけないんですね。それがコミュニケーションツールなのかはまだわかりません。

SNSがコミュニケーションツールとしての機能を提供しているって思うのはちょっと危険かなって思っています。
僕自身もそうですが、結局「かまってちゃん増殖器」ってのが現状です。
もちろん「いいね!」が多いと嬉しいですが、そこに神経をすり減らす事はちょっと時間の無駄です。

「いいね!」を押してもらわなくても、案外皆は皆の事を「いいね!」って思っているのが現状なんだから。

インターネットはもっと身近なものとなるんでしょう。それがユビキタスなのかタンジブルなのかはわかりませんが。
インターフェイスとしてのスマホは不十分でしょう。
現在タブレット化して、画面が大きくなってきています。
ただそれは一時的な進化であって、本当のインターフェイスではないでしょう。人が今後劇的に進化する(視力がよくなるとか、提供大きくなるとか)わけではありません。物理的な大きさや解像度の問題ではないと思っています。

進むべき方向の定義付は簡単です。
人の進化に合わせた形にインターフェイスを作っていくこと。
身体に過度な無理をさせないインターフェイスが今後進むべき道です。
となると自ずと自然との調和が必須になります。

忘れていけないのが、人間のエゴです。
金銭しかり、名誉欲しかり
決して「一概に悪い」と決めつけるものでもないとは思いますが、厄介なものです。
教育として次の世代に伝えて行くことで、上手な対処方法を考えて行く必要があります。
ここもシンプルに「挨拶」「礼儀」から始めればいいと思います。

最後に、「発信」「共有」「思考」は、すべて「敬意」の上に成り立っていることを、今一度しっかり心に刻んで一年を過ごしたいと思います。

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