「Formal×Informal Learning ワークショップで何ができるNOか?」に参加してきた。

Formal×Informal Learning
ワークショップで何ができるNOか?

「アート・多文化・伝統・身体・メディアを活用する表現と協同の創発的な学びの場の開発」
総括・公開コロキウム

こんな募集要項募集要項裏

10日、11日と、上記のイベントに参加してきた。
真剣にワークショップなり、アートの中でのワークショップをやっている人たちの話を聞いてみたくて参加してきた。

登壇者はそれぞれが楽しい話を聞かせてくれた。もちろんよくわかんない話をする人もいた。
(よくわかんないと言うよりは、時間が長くて眠くなるタイミングがあったからかもしれないけど。座学って辛いね。)

学びの場におけるワークショップってお題があったから、当然ながら学校教育とワークショップという視点の話が多かった。
学校教育=Formal、それ以外の学びの場=Informalって感じ。

以下ははイベント全体を受けて、特に記述しない限り、どの人が話してたってことではなくて僕の感想。

ワークショップのあり方

学校教育の限界、しいては現在の社会システムの限界みたいな話をワークショップでどうにかなる?みたいな内容がメインだだったんだけど、一番おもしろかったのは、東大の准教授、中原さんの「企業におけるワークショップ疲れ」の話。ブログはこちら
ま、表向きワークショップに批判的に見えるけど、実際は前向きな話だった。
僕なりにまとめると、ワークショップのアーリーアダプターにとっては、ワークショップって聞いただけで辟易するよ。なんでって、やること決まってるし。
ってことで、今後ワークショップをもう一個新しいものにバージョンアップさせる、そういう前向きな姿勢で頑張りましょみたいな内容だった。

実際、いろんな会合で猫も杓子もワークショップ状態なんだけど、その中身は薄っぺらというか。
ワークショップインフレを感じることが多々あるのが現状。

僕なりに大事なのは、もちろんポストイットに書いて、KJ法でとかもあるかもしれないけど、目的に対して何をするか?を周到に準備する、そして徹底的にシュミレーションする。
ここをおざなりにしている、甘く見ている人が多いのが残念。
それでいて、本番は想定からずれていっても対応する能力があるファシリテーターが進めることが重要。

それは次に話す「専門家」の話につながるんだけど、ま、それはここでは置いといて。
ワークショップって言葉を使うことが悪いんじゃないし、話し合いは大事なんだけど、結局色んな意味で「成果を出す」ワークショップを作り出していかないといけないわけ。
ま、じゃその「成果」って何?って話にはなるんだろうけどそれは割愛。
少なくとも今後「1回きり」のワークショップってのはありえないんじゃないかな?ってのが僕が思ったこと。

必要なのは「専門家」としての人材

今回のコロキウム(実はこの言葉初めて聞いた。)でよく聞いた言葉が「オルタナティブ(alternative)」。
辞書で調べるといくつか意味があるけど、今回の使われ方としては「代替えの」ってのがしっくり来るのかな?

学校教育が担ってきたものでは足りないんだけど、そこでアート的な事、すなわち「一般的にマイノリティと思われている。(実際マイノリティ?)」ことを学校で教えるのは現在の社会システムの観点から矛盾するから、どっか外で学んだほうがいいよ!(どっか外で学ぶしかないんじゃね?)みたいな話だった。
学校に対するどっかがオルタナティブって話ね。

一般的にマイノリティとされることが教育には大事って話なんだろうけど、ここでそれを教える人、ないしはそれを教えることを開催する人は「アマチュア」であり「専門家」である必要があるのかなと。
アマチュアがもつ「型にはまらなさ」が重要って話はわかりやすいんだろうけど、ここで言う「専門家」ってのが重要で、その人は「物事を俯瞰的して、それを全体に反映させること」の専門家であるということ。
それぞれの専門家はいるが、全体を俯瞰する能力っていうのは思ったより皆が持てない能力なわけで。
もしかしたら、それこそ「学校教育の弊害」なのかもしれないけど。(根拠なし!)。

内容が伴っているかは別として、自分の意見を一生懸命いうことが出来る人はなんとなく育ったんだろうけど。違ったベクトルを一つの力にしていく能力を持った人はなかなかいない。
そういう人を生み出すのが今後のワークショップ界にとって重要なことなんだと思うし、それを体系的にやろうとしているのが、今の「ワークショップを学ぶ」動きなんだってのは今回わかった。

自分を振り返ってみる、今後を考えてみる

僕が最初に関わったワークショップってのは、公園の設計なんだけど。
実は今までやってきたワークショップの中で一番刺激的だったのはこれ

足掛け5年、計20回のワークショップで公園を作り上げたのはやっぱり楽しかった。
苦労も当然あったんだけど、プロセスとしても良かったし、結果地域に愛される公園ができたこと=「結果」が伴ったのが嬉しかったんだと思う。

もちろんこの規模のワークショップをするには費用の問題などあるだろうけど、規模の話ではない。
やはり結果を導くワークショップがやって行きたいってのが強く思ったこと。アマチュアが持っている「当たり前」をもっと反映させたものを作り出したい。

反社会的でありたいわけではないけど、社会がもっと人が自由にできる所であってしかるべきだと思うし、それに向けてワークショップってやっぱり力を持っていると思っている。

じゃ何するか?ってことなんだけど。やっぱりファシリテーターとして頑張って行きたいし、もっと素敵なワークショップを開催して行きたい。

よくファシリテーターは意見を持ったらダメとかいう人いるけど、それは絶対にありえない。
たくさんのベクトルから時には意見を切り捨ててでも一方向に進めるべき時があると思っている。(毎回それをやれって話しではないけど。)
だから、それに対しての準備をいつも考えながら過ごすべきかなと。

ま、修道者的な話になったけど、好きでやっている人は実は何の鍛錬でもないんだよね。
こうやって考えをたまにまとめてみる機会を与えてくれたんで、今回のイベントには感謝。

登壇者のみなさま、そして参加された皆様、ありがとうございました。
(誰が読むんだろうって話はあるけど。)

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