先週の土曜日、サンデル教授が東北大学で行った講義の模様がNHKで放送されました。
サンデル教授といえば「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
」ですね。
もうすぐ東北の震災からまる2年が経とうとしています。
然るべく被災について「自分が助かるか?人を助けるか?」みたいな議論がありました。
それを見ながら僕が何気なく「うちのおかんは、車椅子の父をどうするやろか?」って妻に話したんです。
そしたら思いがけない答えが帰って来ました。
僕に見えるもの、見えないもの
僕は父母のことを妻よりも知っていると考えがちです。
もちろん物理的に一緒にいる時間が長かったわけですし、感性は一緒の部分もあるでしょう。ただ、客観性はどうしても妻が勝ちます。
でも、今回妻が出した答えはただ単に「客観的に見ましたよ」という回答ではありませんでした。
妻の出した答えをここで書いても、別に「あっそ」って答えだと思います。
字面にするとたいした内容ではありません。何故かと言うと読んでいる人は僕の両親のことを知らないからです。
妻の回答は、僕の父母兄弟含めて、妻が尊敬の念を持っているからこそ出たものだったのです。
僕は言葉が出ませんでした。
すごく失礼な書き方をすると、「妻からそんな素敵な言葉をもらえる」とは思っていなかったからです。
感激と恥ずかしさと自分の了見の狭さが入り混じった、なんとも言えない気分になったのです。
関係性の基本は「信じる事」なんだなと。
妻とはもちろん喧嘩もするし、よくわからない行動をとられることもあります。
時に「なんか信じてもらってないのかな?」なんて思うこともあるし、声に出して言うこともあります。
同様なことを妻も思っているかもしれません。
ただ、そんなちっぽけな喧嘩の最中に人の本心なんてなかなかわからないなって思いました。
妻の回答は、僕だけではなくそのバックボーンを信じていることの証だったんですね。
そしてそこで僕は思ったんです。
信じてもらうよりも信じていた人のほうが強いんじゃないかな?と。
妻の強さを改めて知ったわけですよ。「あー、なんか知らんけど、信じてもらっとるわー」ってこと。
結婚してまだ10年も経ってないけど、まだまだ人って分かり合えるんですねってこと。
なかなか人生楽しいもんです。