40歳になりました。

柏井卓 40歳

柏井卓 40歳

誰に期待されるでもなく、毎年誕生日にブログを書くようになって早6年目。
今年もやって来ました。誕生日。

こんだけ続くと「去年なに書いたっけ?」って気になるけど、まずは読まずに書きますね。

流石に「おー、俺って大人(おっさん)!」って思う

ええ歳した大人ですよね。
でもやっぱり誰しもが思うんでしょうけど、「自分が思っていた40歳」ではないのは確かです。
相変わらず馬鹿ですよね。でも真面目です。
うんこは漏らしませんが、鼻くそはほじります。

他人からみたらそれでも歳相応に見えるはずだし、社会的な責任っていう曖昧なものも降り掛かってきます。
まぁ、社会的責任とか言われなくても、ちゃんと責任持って生きていこうという気持ちは以前からあるわけで。

ある意味節目なわけで、この節目って少し大事なのかな?って思ったのがちょっと新鮮。
今までは別に誕生日だからと言って「襟を正して」なんて気持ちもなく、祝ってくれる分には嬉しいけど、まそんだけって感じでした。

ただ今年はなんとなく違います。

毎年と言わず毎日悩みながら生きているんですが、少し吹っ切っても良いのかな?って思ってました。
で、今日思うんですが。
吹っ切ろうって思うわけです。ちょっと区切りっぽくチェンジしたい気持ちが湧いてきます。

まだまだ他人から見たらいろいろ言われます。影で言われているのもよく聞こえてきます。
「あー、勝手に言っておけよ。」って気持ちは変わらず持ってますが「ありがとうございます。」って気持ちも少しだけ持てるようになった。

素晴らしき40歳だなと思うわけです。

死について考える→生きるということも考える

平均寿命から考えるに、なんとなく半分なんだろうなって思います。ってか妻に言われました。
ここまで結構長かったっちゃー長かった。
あとこんだけ生きていく?って思うと、正直なげーって思うけど、80歳で死にたいかって言うと実はそうでもなくて。
長生きしたいもんです。

自分の死についてはまだまだ強くは思いませんが、両親については可能性として僕より先に死ぬでしょう。
妻の両親、妻の祖母なども然りです。

どうやってエンディングを迎えるか。エンディングって。。。

ま、少しずつ考え始めます。もちろん「はよ死んでくれ」なんて思っていませんよ。
ま、いろいろ考えるところはあります。

その一方で、子どもたちや、生まれてくる命の大切さを感じます。
僕はなにも年上の人達だけに生かされて、育てられてきたわけではなくて、子どもたちからも育てられているわけです。

生きるってなに?って考えをここに書き始めると長くなりますが。
最近読んだ「考える生き方」に書いてた(と思うんだ)けど、子孫を残すってのも、生きていく意味としては十分なのかな?って個人的には思うわけです。

子供を授かるというのは、誰でもができるわけではなく。望んでいても敵わない人もいるし、全く望まない人もいる。
ただせっかく授かった命は大事にしたいし、それが血が繋がっていようがいまいが、子供たちに明るい未来を残す?作る?のは大事だと思うわけです。

その未来ってどんなの?って言うのはまた今度。

大事にしたい事

ずっと去年から考えていることです。

まずは「敬意」。
これに尽きます。

そしてその敬意の上に「思考」「発信」「共有」があります。
まずは自分で考えること。考えて考えて。途中でいろんな人とか自然とかに耳を傾けながら、やっぱり自分で考えて。
そして発信してみてください。身近な人にでもいいと思います。世界に向かってブログ書いてもいいでしょう。
そして返ってきたことを含めて皆に共有してみてください。

人はまだまだ進化すると思っています。
僕は科学技術の発展を否定しません。自然が持つというか古来から続く素晴らしい生き方も素敵です。
双方の視点から見たら矛盾もあるでしょう。

上手く乗り越えていきたいもんです。
それには文化的な壁とかを乗り越えていかないといけません。
そしたらやっぱり、まずは敬意でしょう。
お前が言うなって思う人が沢山いるかもしれませんが、本気で思います。
だから、言って欲しいですね。「それって敬意はありますか?」

言われたら多分ショボンとしたり、ムキになったりしそうな自分がいます。
まだまだですね。

学ぶということ

学びたい。そう思う気持ちが日に日に高まっています。
もっと知りたい。もっと見たい。議論したい。
我ながら小さい頃に言われた「大人にになったら「勉強しておけば良かった」って思うよ。」というフレーズをそのまま受け継いで未来に投げ込むつもりですが。

ま、ただ。今学べば良いんですよ。単純に当時は学びたくなかったんだし。欲している時にやれば良い。
時間的な制約とかあるけど、ま、いいじゃん。時間作れば。ははは。

自信をもつ?諦める?ま、どっちでも良いんだけど。

人に依存しすぎてたなって思います。かまってちゃん。
ちょっとしたことで落ち込んだり。疑心暗鬼。

でもね、結局自分のことを自分以上に思ってくれる人っていないですよね。
もちろん自分のことをすごく思ってくれる人はいるけど。
そこの差を比べると落ち込んだりするわけです。「こんなにやってるのに!」みたいな。

無駄に疲れるわけです。
分かり合えない人もいます。こちらが好きでも、あっちは好きではないこともよくあります。

そういうのを「あっそうね。」って思って生きていく年齢に達したんだと思います。

ということで

まだまだ生きていこうと思います。
これからもよろしくです。

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