Facebook上で、大学時代の友人がたびに出ている様子をアップしていた。
ルーツの旅だそうだ。
昨日まとめみたいなものがアップされていた。
よくもまぁそこまで調べたなって関心。
何が関心って、やっぱりそのルーツの土地に自ら足を運んで話を聞いてきたってことだろう。
クソみたいなテレビふうに言えば「あっぱれ」だ。
いや、糞みたいなテレビ風に言わなくても天晴だ。
やっぱり愛すべき馬鹿はやることが違う(笑)。
ルーツ知って何になる?
僕のルーツはどこにあるんだろうか?って30代になってから考えるようになったんだけど。
40代になると実際辿ってみたくなるのかも知れないなーって思ってる。
父型でわかるのは曾祖父さんまで。
豊前の人だ。
おかんの方は京都は山城の人。
どこまで遡れるかはわからん。
先祖を知って何になるか?って思うんだけど、知りたくなるのはなんでだろう?
確実に言えることを知っておきたい
年齢的にこういうことを思うのかな?って言うのは、ありきたりは言葉だけど「自分が誰なのか?」を知りたいってところなのかな?と。
ま、知って何になるとかそういう話はおいておいて。
自分は自分なんだけど、そのもともと構成要素を知りたいんだと思うんです。
元素記号でいくと・・・とかいう話ではなくてね。
そしてどんな人にも絶対にぐっとくる人生の転機とか良い話があって、そういうのを知ることで「さてもういっちょ」って思うんじゃないかなと。
僕はそう思いたい。だからルーツを辿ってみたいって思うわけです。
知ってどうなる
しってどうもならないんです。
あっそって感じ。感動することもあるけどね。
ただ、それは何においてもそうで。
知りたいことを知ったから良いことが起きるわけではない。
ただ、知りたいことをおうことって、人生のなかで結構重要な事だと思うわけです。
特に先祖の事は「知っておくべきこと」ぐらい重要なことのような気がします。
やっぱり自分が生まれてくるために絶対必要な人たちですもんね。
実はこのエントリーを書きだしたのは1ヶ月ぐらい前なんですが。
なんか上手にかけずにほっておいたんですが。
友人の手記が上がった時点で、なんとなく続きを書ききろうと思ってアップします。