責任って取るものであって、取らせるものではない。

特にどのニュースが気になったという訳ではないんだけど。

震災以降、相変わらずギスギスした感は否めないですよね。
「民衆党政権(菅直人)は責任をとれ。」なんていう論調はよく聞くところです。
そんなに大きな話ではなくても「責任どうとってくれるんですか?」みたいな話はよくある話で。

これ、正直困りますよね。

少なくとも誠意は見せられるでしょってのはある。

東電が責任を取るとして、どこまで取れるんだろうか?って思うわけです。
誠意を見せることはできると思うんです。
みんな丸坊主にするとかね。
それでも簡単には誠意って伝わらないんです。怒っている人にはなかなか伝わらないんです。
天下りして皆で海外移住していたら、それはやっぱり誠意は見えてないですよね。

責任って何?

原子力委員会の人たちが現場の人達を強く責めているわけです。
マスコミもとことん叩いているんです。叩いているように見えているだけでしょうか?

ところで、果たして現場の人達って一生懸命やっていないんだろうか?
あと、ちゃんと「SOS」を簡単に言える空気を作り出せているのだろうか?
そういう空気が「隠蔽」をなくすんじゃないかな?

お客様から文句→上司平謝り→部下(社員)怒られる→下請け怒られる、とにかく怒鳴られる→報告書出す。
(責任転嫁→責任転嫁→責任転嫁→責任転嫁)

果たして誰の責任何でしょうね。この場合、契約社会なので会社の責任になるんでしょうけど。

責任を取れの構造がおかしいんではなくて、あまりにも自分の責任を負わないところに問題があるんだと思います。

自分に置き換えると、どこが問題なのかがよく分かる。
その問題を解決することが責任何だと思います。
文句言う前に自分がどれくらいできているか?を考えるべきでしょう。

成人君主になれって話ではないです。どれくらいできているかです。

責任取れって言うけど、恩恵も受けていたって場合もある

そもそも責任取れってことは、何かしら被害被ったわけなんだけど。
ただ単に被害に会うってケースよりは、実は何らかの恩恵を受けていたのに騙された!感が、この言葉を言わせるわけですよね。
知らないところで起こっていたなどケースはあるにしろ。

ってことは責任取れって言っている人にもその発端はあったりする場合があるわけです。
大小に関わらず。(この大小は何で測るか?って事もあります。)

だから、結構問題が起きたときは自分のやってきたことを考えるのがいちばんの解決方法なんですね。
「自分の指示出しが間違っていなかったか?」「あまりにも自分の考えを押し通していなかったか?」など。
簡単に言うと、見えようが見えまいが、相手のことを気にしていたか?って話です。

責任を取るというのは、信頼を取り戻すということ

圧倒的に悪い理由はあります。僕にもよくあります。
そういう時ってぶっちゃけどうしうようもありません。
起きてしまったこと、起こしてしまったことはかわりません。

その対策ができていなかった事が責任だ!って話もありますけどね。

責任っていうのは、取らせるものではなくて、取るものだと思います。

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