カテゴリー別アーカイブ: books

The books I read.

ナンパって大切かもね。

久しぶりに図書館で本を借りて、一気に読んでしまいました。
お陰で寝不足でしたが。

いつ予約したかはわかんないんだけど、図書館からのメールが届いていました。

あれ。こんな本予約したっけ?

って感じでしたが、別に宮台真司嫌いじゃないし。てか面白そうだし。
最近結構まじめに生きているというか、あまり本も読まない生活をしているんで、たまには読もうと思い借りてきました。

で、特に内容をここで書くわけではないんですが。

やっぱあれね。
まずは何にしろ、やり始めないとね。

大人になって時間が無いけれど。
できるだけやれることやりたいもんです。

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羅生門を見たよ

実は黒澤映画って見たことなかったんですよね。
小津は好き(ってほどたくさんは見ていないけど)だけど、黒澤はねー、なんて勝手に思ってたんだけど。

TSUTAYA行って、適当に見たいの見つけてたんだけどあんまりピント来なくて。
じゃ、ここは巨匠でしょう!ってことで借りてきました。

芥川龍之介の羅生門とは違うのね

原作は芥川龍之介。名前は知っている。何を書いた人かはすぐに浮かばないという。。。
我ながら知識の無さにびっくりだけど。
でも原作は読んだことが有る気がする。
それぐらいの知識、いや、知識じゃなくて思い出。

なんとなく見てても原作を思い出せない。
確かにもんは出てきたよなーってぐらいの感じ。
あれ?俺は読んでいないのか?なんて思いながら見続ける。

どんな映画なのか?

黒澤映画の中でも評価の高い作品だが。
正直何の評価かはわからないってのが感想。
それぐらい僕には今感受性がないんだろう。

人として生きていく事ってなんだろう?って考えさせられる映画ではあるんだが。

でも、確かにそういう感想を持ってもいいなじゃないかな?って思うのは、冒頭に出てくる二人の会話。
「まったくわからんのだ。」

そう、全くわからんのよね。
何が正しいんだか、誰が正しいんだか。

ただ感想として言えるのは、人が生きる上でこういうことは起こるだろうってこと。
何が正しいとかそういうのを超えたところで悩んだりする必要もあるんだよね。

映像、役者など

wikipedia などを読んでみると、海外の映画に影響を与えた作品らしいけど。
現代の人が見ても、そんな小さい場面のことは映画作りしている人とかしかわからんのやないかな?って思うけど、確かに迫力と言うか、伝わるものはある。
あとは役者の持つ眼力みたなのもすごいなって思ったり。
ま、でも。今回はやっぱりあんまり良くわからない作品だったなーって言うのが正直なところ。

きっとちゃんと見るには、それなりの覚悟がいるんだなと。

で、羅生門読みなおしてみた

さっきKindleで羅生門読みなおしたけど。
そっか、やっぱり話自体は結構違うので。テーマは一緒かも。
僕は本の羅生門の方が好きかなー。

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【読了】現代の秘境は人間の”こころ”だ

NHKでやっている爆笑問題の番組の本だと思う。

なんとなく簡単に中沢新一読みたいなーって思って手にとった一冊。

大田は中沢新一が好きで、中沢新一は大田が好きなんだなと

このシリーズ何冊か読んで見たんだけど。
結構大田が、対談相手に突っかかるというか、少し相手を引き出すつもりかもしれないけど。
あまり相手を肯定しない感じで進んでいくんですね。
特に人文学とか哲学とかにおいては。ってのが僕が思ってる大田スタンスなんだけど。

中沢新一に関しては、共著があるぐらいだからか、どちらかと言うと聞き手に回っている感があって面白かったですね。

読んで思ったこと

爆笑問題のスタンスはいいとして、中沢新一が何をやろうとしているか?(ま、この本2007年の本なんだけど)がわかりやすく書かれているんだろうなと。
実際僕も、この人何やっている人なんだろう?って思ってたんですよね。正直。
一応チベットのモーツァルト とか読んでみたけど、実はスッキリしなかったんだよね。
でも、この本読んでなんとなくわかった気になった。
そんでもって、今後もなんとなくしかわからんだろうし、別にわからなくてもいいやって思った。
ただ、読んだら心動かされるからそれで良いかなって感じ。

宗教とか芸術とか哲学とか。人が作ってきたものは答えがないんだけど、きっとある程度皆がいいって思う組み合わせだとか、落とし所っていうか、まーそういうのがあるんだと思って、それを見つけることをしているんだってのが僕の解釈。

入門書的な読み方でいいんじゃないかな?と思います。

2つ気になった。

あ、気になったってのは、悪い意味じゃなくて。
アースダイバー
」と「ダウンズタウンプロジェクト」。
アースダイバーは、東京という街が縄文時代からもつ土地のパワーをそのまま引き継いでいるんだよって考え方。根拠はよくわからんけど。ま、ファンタジーでも良い、そういう考え方が有ることが面白いなと。

もう一つのダウンズタウンは、ダウン症の子どもたちの芸術村をつくろうというプロジェクト。
ダウン症の人たちって争いが嫌いなんだそうです。もちろん怒りがないわけではないらしいんだけど。
うまく説明できないからちょっと引用。

アトリエ・エレマン・プレザンは、ダウン症の人々の世界のとらえ方や感じ方を、ひとつの独自な価値をもつ「人類の思考」の一形態としてとらえ、「絵を描く」行為をとおして表現されたその思考に、未来への希望と可能性をみいだす活動をつづけてきました。アトリエ・エレマン・プレザンの活動をつき動かしてきた理念は、多くの点で芸術人類学研究所の抱いている理念と、驚くほどに深い共通性をしめしています。 

街(土地?)持っている力、人が持っている力。求めるべきもの、求めなくていいもの。
そもそもが持っている力、それぞれが持つ力。良いと思っていることと悪いと思っていることが変わってくる時代も来るかも。
そんなことを思いながら読んでみました。

たまにはこういう本も。

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堀江貴文「ゼロ」読了。とても気持ちの良い本だと思う。

僕はホリエモンって言う人のイメージをあまりもっていなかったんですよね。
特にひどいことを言っているわけでもないし、だからと言って万人に受けるような口調ではない。
だからと言って応援しているわけでもなく、でもtwitterとかはフォローして「面白いこと考えているなー。」とか。
あえて言うなら出来る人(堀江さん)からの視点で、それが当たり前だろ?って感じで話をする人だと思っていたんです。

で、読んで見ての結論として。
そういうパーソナリティーの部分はいい意味で失われていないけど、人間味が増すというか、本気度が伝わるというか。
堀江貴文という人間がどんだけ努力してきたのかということが伝わるだけでも凄く意味のある本でした。
結局やってますよね。そしてやってない人はそれなりですよね。という。

ま、パーソナリティーはそんなに変わっていないっていうのは、こういう動画見てみたらわかるかなw.

ただ、併せてこう言う動画も見てみると、本の内容が意味がよく分かるというか。

ただやってみたわけではなくて、継続しているところが凄い。

よく「東大入れるぐらい凄いんだから」みたいに書いている人もいるけど、結局そこに至るまでも努力をしているんですよね。
決して急に何かができる用になったわけではなくて。
一つ一つ多分、思ったらはじめて見た結果が今何でしょう。

誰だって(かわかんないけど)、大小あれど、何かに夢中になった事があるはずで、その中でも少しだけでも成功した事がきっとあって。
その出来る範囲で増やしていく気持ちをもとうって言うのがこの本の言いたいことなんだと思うんです。

自分に置き換えると、継続する力とかなくて。いや、取り掛かろうという気持ちとかも少なくて。
でもいい年齢になって、今更遅いかな?と思いつつも、次に進もうかなって思っていると事なんですが。
彼の言う方法が正しいってわけえはないんだと思うんです。この本でそんなことを言いたいんじゃなくて「良いじゃん。自分がいいって思うんだったらさ。」みたいなことの積み重ね(失敗も含めて)が、人類の成長、イノベーションを起こすんだって言いたいんだと思うんです。

良い社会作ろうぜ!って言う本なんですね。

彼の才能と言えば「探究心が豊富」で「それを行動に移せる」以外ないんじゃないか?

結局著者は、何事もまじめに真っ直ぐに取り組んだ、まずは取り組んで来たんだと思います。
で、岡田斗司夫との対談で、「やってダメなら諦めれば良いじゃん(損切りすればいいじゃん)」って言葉が出ますが、多分いろいろ経験したからこそ言える事何でしょう。
最初からどで損切りするべきかなんてわからなかったんだと思うわけです。
結局「一歩進めたか」って事を重視している。
で、一歩すすんだら、どうせ次の一歩があるからそれ頑張れって話なんですよね。
当然進んでいけば課題は多くなるし、責任とかも大きくなる。
ただ、そういう経験をしないと進まないし、進んだ先には仲間ができているって事を信じている。
そして、それを信じているからこそ本当に人が集まるんだってことなんだと。

誰もが「堀江貴文」になることなんて望んでいない

多分、結構人の可能性を信じている人なんだろうな?って思うんです。
自分の事が凄いなんて実は全然思っていないんじゃないかな?
ま、できないって思っている人からすると「いや、あんたは違うんだから」って言われるんだろうけど。

そして多様性を認める事も重要視していると思う。
自分ができないことも素直に認められる。

凄く人間味のある人なんだなーって思いました。

張り合うわけではないけど、僕も僕なりにまだまだ進んでいくべきだなって思わせる、良い本でした。

今日は三田祭(堀江貴文と茂木健一郎)でも見に行ってみようと思います。

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【読了】「知の逆転」は凄かった。

久しぶりの更新になってしまいました。
何やっていたかって言うと、いろいろやっていました。、あれやこれや。

で、ちょっとだけ息抜きにッて思って勝った本なんです。
そしてここ最近でドキドキ・ワクワクしながら呼んだ本になりました。

なので簡単に書評を書かせてもらいます。

どんな本?

有名な科学者が、自分の研究だけではなく、今からの世界に対しての彼らなりの言葉をうまくまとめた本です。
僕が考える未来を、もっと大きなスケールで描こうとしている巨匠たちの言葉はどれも刺激的です。

面白い点1「血気盛ん」

結構な年齢の方が多いわけです。だって科学界の巨匠たち何だから。
(アカマイのトム・レイトンが比較的若いぐらいでしょう。)
その彼らが、なんといっても元気。そして考え方がとてもユニーク。そしてみんなが毒を持っている。
自分たちの意見をしっかり持ち、突き進み。それでいて結構優雅な面もみせたり。
やりたいことをやってんだよ!ってのがひしひしと伝わってくる。

そしていい歳だけど「わかいもんには負けねーよ」感がひしひしと伝わってくる。
(もちろん若い人に対して活躍してほしいと思っているんだけど。)
今一番重要なのは、この血気盛んな感じなんだろうなって思ったわけです。

面白い点2「意見が結構違う」

それぞれの文章が面白くて、読んでいる時にはあんまり気づかないんだけど。
読み終わってから、またペラペラめくっていると思うわけです。
「あれ?言ってることがかなり違うなー。」
全体的に刺激的で、読んでいる時はワクワクしているから気づかないんだけど。

みんな意見が違うんですよね。そう、それが当たり前。
もちろん性格の違いとかもあるんでしょうけど。
「あー、このおっさん口悪いなー(笑)」とか「わお!なんて優雅なの?!」っておっさん(おじいさん)まで。

こういう人の考え方が認められ、許されているから、まだ地球を見捨てなくてもいいんだと思わせてくれました。

ただ、一つ重要なことが書いてました。

先進国である日本、資源(減量から食料まで)の輸入大国である日本人として。
やはり今の生活が続くと考えるのはおかしいです。
残飯がどれだけ出ているのか?
それはもう今すぐにでも見なおすべきだし、私達が感じている便利さが地球を破滅に近づけているのは真実です。

幸せの尺度って変えるのが怖いと思うんです。
でも変えてみたら「あーなんだ、いいじゃん」って思えるはず。

僕はこの本を読んで、そう思いました。

僕ははやり「知」が持つ力を信じたいと思います。

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【書評】「舟を編む」読了

たまたま家に落ちてたので読んでみた作品。
三浦しおん、、、読んだことあるようなないようなってぐらいの記憶力だったんだけど。

ああ、読んでいたわ。「まほろ駅前多田便利軒」。読み終えてから思い出しました。
それ以来でした。

まほろについて

ちょうど最近、BSフジかどっかで映画をやってたんだけど。
この人の作品って結構映画化されやすいのか?「風が強く吹いている」とかも映画化されてますよね。
僕は松田龍平が結構好きだから見ようと思ったんだけど、ちょっとつかれてやめちゃいました。
映画の話は置いといて、小説はとてもいい印象がありました。面白かったなと。
読み始めていてもなかなか作品の中の人間関係が見えてこないんですが、急になんかみんなが良い人に見えてきたんですよね。
あるタイミングで。
それからはぐっと引きこまれて読んでしまいました。

で、舟を編むなんだけど

こちらはまほろに比べて、不思議な部分ってあまりなかったんですよね。
最初から読み安かったんだけど。やっぱり出演者に一人変なのがいたけど。

途中からやっぱりグッと引き込まれましたね。

どんな本も引き込まれるタイミングってあると思うんだけど、三浦しをん作品は、なんて言うんだろう、今引きこまれたなってのがわかりやすいというか。いい意味で。
だから好かれるんじゃないかな。

辞書に対する愛

国語辞典なんていまどき引く人いないだろう。僕も年に数回しか引かない。(最近は意図的に引くことが多くなったけど。)
そんな辞書を作る人達の物語。
辞書作りって終わりなき戦いなんだなーって思いました。
そしてその戦いに「果敢」でもないけど、「心底好き」という気持ちで接する登場人物たちに僕は惹かれる。
それだけ「自分がやりたい」という仕事をできることは幸せだ。

僕がいま幸せではないって話じゃない。
僕ももっと自分がやりたい仕事に近づけていけるように頑張りたいとおもう作品でした。

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スプートニクの恋人を読んで

最近やっと本を読む時間ができたというか、時間を作る心境になったというか。
本を読みたくなったというか。

ま、そんなこんなで本を読み始めました。

読み始めるのって気合いがいるんです。
ペースをつかむまでが大変っていうか。体力も使う。
なので、僕の中では比較的「適当に読める」作家、村上作品を選びました。

僕と読書

僕が読書を始めたなーって言うのは33歳から。
テレビがない、そして友達もあんまりいない生活をしていて、本でも読むかって感じで始めました。
それまで村上春樹どころか、有名な作家の作品もあまり読んでいませんでした。

ただ、気にはなっていたんですよね。
大学のサークルの先輩が、ある飲み会で村上作品について「あれがすき」だの「俺はあれ」だの話しているのを聞いていたんです。
音系サークルだったので「あのアルバムが」とかはで話し合うのはあったんだけど、本について話しているのが新鮮に映ったのと、「あー俺は本読んでねーなー」っていうコンプレックスがあったのを覚えてるんです。

それから約10年後、仕事終わりにブックオフに寄って100円コーナーに行き、なんとなく名前を知っている人の作品から片っ端に買っていたんです。その中に村上作品もありました。

詳しくもないのに「僕にとっての村上春樹」

最初に買ったのは多分「1973年のピンボール (講談社文庫)」。生まれた年(1973年)ってのが題名に入っているからだからかな。
その後初期のいわゆる初期三部作の他二作を読んだんです。

実は何が書いていたか、今となっては全然覚えていないんですが。
読んでいる時はさらっとと言うか、わけわからないんだけど文体が読みやすいっていうか。
そういうイメージを持ったんですよ。

それからというものの、なんとなく軽く読みたいなって言う時に村上作品を手にとって来たんです。
(村上龍も読んだんだけど、作品ごとに重かったり。(笑))

ノルウェイの森で少しイメージが変わった。

その後なん作品か読んでから、パタッと読まなくなり、数年前にいきなり「ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)」を読んでみたんです。
あ、ちなみに「この作者、コンプリートしたい!」ってほど好きじゃないんです。
でも好きかと聞かれると好きって作家なんです。

ノルウェイの森は、内容を覚えている数少ない著者の作品で、「あー、なんかちゃんと物語なんだー」なんて勝手に思ったもんです。
もしかしたら初期三部作もそうなんだろうけど。今度読んでみます。

ま、それでいて読みやすさは変わりなかったんですよね。

で、今回読んだ作品なんですが。

スプートニクの恋人を読んで

もともと実はSFを読みたかったんです。
でも、まー新作も出たことだし、でも新作を買うほどでもないしってことで。
なんとなく「スプートニクのなんとかってあったなー」って幹事で読んだのがこの作品。

相変わらずの性描写と、さらっと関連性をもたせるディテール。
やっぱりなんのかんの言って、性描写に関しては独自のスタイルがあるんだろうなって思うわけです。
文体はスマートなんだけど、描写と言葉遣いは結構リアルなんですよね。

そのバランスが好き嫌いのポイントなんではないかな?って思ったり。

この作品は、いわゆる恋愛小説ではない。
通常よくあるようなシチュエーションでもない。

でもちょっとした日常を切り取ると、実はこういう事考えているなーって内容でした。
ま、何書いているかよくわからんですね。

さて、リハビリ終了なんで、別の作品でも読もうかな。

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鈴木先生を読んで思ったこと。

最近無料で読めたんで、「あー、じゃ~読んでみようかなー。」ぐらいだったんだけど。
ある意味衝撃。ある意味感動。

この物語が今の中学生を描いているとは思えなかったんです。

簡単に答えなんて出すなよ

出てくる人出てくる人、全員悩みを持っていて、それでいていろんな意見があるんだけど。
みんなそれぞれ答えを持っていたりするんだけど、それが議論だったり、単純に時間だったりが進むことで内面的に成熟していくのが話しの流れ。
僕の場合物語って自分を投影しながら読むんだけど。
悩みの解決方法が僕にとって心地よかったというか。
「簡単に答えを出すな」って手法が嬉しかった。

今時「これはこうだから」みたいな答えの出し方はできないはず。
仕事上で、すぐにジャッジしないといけない場面とかあるだろうけど。
もちろんそこでジャッジしてはいけないってわけではなくて。

ただ、そこにたどり着くまでに生きている中でどういうことを考えているか。
それが急にジャッジを求められた瞬間、露骨に出るんだろうなって思った。

今日もそんな事があって、自分の中で戸惑ったんだけど。
それで良いと思うわけ。

自分のブレない部分は、立場を置き換えてもブレない。

相手の立場にたって見るっていうのはとっても難しい事なんだよね。
だって相手にはなれないし。

そうなってくるとブレない部分っていうのは「誰がみてもそうだろう」って部分を持つことなんだと思うんだ。
相手がイヤって言っている時に嫌なことをしないってことではないかな。

仕事で頑張る場合、どうしても無理をいう場面って出てくる。
いわゆる条件を出す場合とかってそうなんだろうけど。

僕はそういう条件を後で出すのは嫌いだ。
だから僕は後から条件を出さない。
そのかわりに、無条件で引いたりしない。
それって失礼なわけだし。

って強く言えるのであれば嬉しいなって思う。(おい、どっちや?って話ですね。)

ブレない部分を作っていくためだけに生きているわけではないけど、そういう部分も大きいのではないかな?って思ったりする。

なんか知らないけど涙が出た。

で。
なんか最後らへん感動したんです。
今の社会ってホントごった煮で、ちょっと嫌なことが起こると四面楚歌っぽく感じてしまう。

いやね、そこまでひどくないんだよって思える社会がいいなって思う次第です。

真正面から取り組むことの難しさと、それに対して真摯に向き合うこと。

そうするしかないよねって話。

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帚木 蓬生「水神」読了。

えらく長い時間かけて読んでしまった。
この本を買ったのが2012年の8月。
約半年かけて読んだわけだけど。

決してつまらなかったとかではなくて、むしろじっくり読みたかったから。

結果「ぐっ」と来た良い小説だった。

この本との出会い

去年の夏、素敵な人生の先輩と知り合いになった。
一緒に杉並区の下井草で開催された「灯りまつり」を手伝っていた方で、言い方は悪いけど自称「ちょっとダメな大人」。
話を聞いていると、おもわず頷いてしまう、と言うか僕と似ている部分があって、思わず「あー、こういう人生の先輩がいるってことは、俺も存在価値があるんだなー。」とか思ったりした。

その方と意気投合し、僕がまちづくりに従事していると話したら、また別の方を紹介頂いた。
その方含め、三人で新宿のライオンに集まり、あーでもねー、こーでもねーって話をさせてもらった。
僕はその場で「学生時代は九州だった。」「公園の設計をやっていた」「もっと街で働きたい」って話をしていたんだけど、その時に勧められたのがこの本。「水神(上)

なぜかとにかく読め!って話になったんだけど、内容を聞いてみるとびっくり。

なぜビックリかと言うと、この物語の舞台となった筑後川流水域はなんと僕の卒論テーマだった。

僕の知っている筑後川

九州の人以外は、もしかしたらあまり馴染みのない川かもしれない筑後川。もしかしたら九州でも長崎とか鹿児島の人にはピンと来ないかも。
この物語の背景になった話や、川そのものの歴史的な話はこことかここを読んでもらうとして。ま、大きい川で、見るとちょっとうっとりくる。

僕が学生時代に住んでいた福岡市からは距離にして40キロぐらいかな。いわゆる筑後平野はこの川の東側に形成されている。
農学部だった僕は、4年生の夏休みに書きたくもない卒論(誰がそのお題に決めたかも分からない卒論)を作成するために、なんか知らないけど毎週のように筑後川の支流に水を汲みに行っていた。
助手と、クラスの女の子と僕。なんとなく三人が三人、仲が悪かったような。(今考えるとなぜかはわからんけど。)
浮かれる気分なんてこれっぽっちもなく、ただクーラーの効かないバンのクッションの効かない後部座席で寝ることだけに注力する時間を過ごしていた。
支流に到着すると、ただただロープのついたバケツを川に投げ込み、ボトルにたくさんの水を汲んで研究室に帰る。
そのためだけに何時間もかけてバンに揺られる。

結構な回数を繰り返しているうちに、最初はただつまらなかったこの水汲みにも少しだけ愛着が湧いたことを覚えている。
支流だから結構山の中に入ったりして、いつも決められたポイントで水を汲むんだけど、景色を見慣れてくると少ししっくり来るというか。その時深く考えたわけでは全然ないけど「あー、なんか歴史があるんだろうな、この川。」って思ったことを覚えている。当然農村なわけで、その景色に心が落ち着いたのを覚えている。
水を汲むのは夏の間だけだったので、その後の卒論は何書いたかも覚えていないし、なんか適当に終わったんだけど。

その後社会人になってから、なぜか筑後川の周辺に遊びに行くことが増えた。
知り合いができたのもあるし、よく熊本の小国に行っていたので、支流に限らず源流に向かって筑後川を眺めること多くなった。
車の窓を開けて好きな音楽を聞きながら川沿いを走る。そういう時間がとても好きだった。
学生の時より筑後川が好きになっていた。

多分、今考えると筑後川ってかっこ良かったんだと思う。単純に大きいっていう意味もあるけど。
何か凄みを感じるその姿は、実は山に向かうにつれて静かな流れを見せて。
山に入れば入るほど神秘的だった。

故郷でもなんでもないけど、筑後川は僕にとっての川の代名詞になった。

ちょっとだけ小説について

おっと、結局小説についてはあまり書いていないけど。
この小説、一応主人公がいるんだけど、3者の視点から描かれている。
それぞれ立場の違う「庄屋、百姓、侍」が、自分たちの信じる事のために自分の役割を全うする。
それぞれが信じあって、それぞれが人のために尽くす。

それが大きな、時に危険を伴う自然相手に繰り広げられる話。

今の日本人にとって進むべき道へのヒントが詰まっている内容だと思う。

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